純米@大吟醸

美しいと楽しい、旅と音楽と日々のこと。

50:リスボンの思い出

 

リスボンはミラノだ

 リスボンについた2000年2月11日。私は日記の見出しにこう書いている。おかしい。だって私はこの時まだイタリアに行ったことがないのに…。と、次の行に目をやると、こうあった。

行ったことないけど

  笑。

 人々の服装が黒を貴重にしたものばかりだったから、そう思ったらしい。ファッションのことは前から好きだったから。

 あとはたぶん街の様子も原因のひとつ。リスボンの街並みは想像していないほどキレイだった。乗ってきた電車がひどかったから余計にそう思うのだと思う。ポルトガルで撮った写真はどれもきれいで素敵なのに、全部処分してしまった。バカだなー。

 また行けるならば、街歩きをもっとしよう。大きな広場、石畳の道、オレンジの灯。広場に面した建物の一階にはたいていカフェテリアがあって、たくさんの人が長い時間お茶を楽しんでいるみたいだった。私たちもコーヒーとビールが大好き。友達に至っては甘い物も大好きだったから、カフェタイムはいつでも楽しかった。

 通りの突き当たりにとんでもなく美しい門があったことを覚えている。調べてみたら、アウグスタ通りの突き当たりにかかるアルコ ダ ルア アウグスタという凱旋門だそうだ。下から見上げて鑑賞するのだけど、意味がわからないくらいに姿形が美しく、歴史で習ったかつてのポルトガルという国を思い出してこう思った。

昔は強い国だったんだね

  世界の国々の中でポルトガルがどれくらい力のある国だったのか、正確にはわからない。だけど、ポルトガルにいる間になんどもそう思う機会があったことを今でも覚えている。

ジェロニモ修道院

 とんでもなく美しい場所をさらに。本当に適当に勘で行くのに、こういう場所に行き着けたことは幸運だ。中世を舞台にした映画やドラマ、ファンタジー系のゲームなどで描かれるような異世界感だった。

 作られたのは1500年頃。そのくらいの建物は日本にだってある。だけどなんといったらいいだろう。しっかり考えられた建造物は、建物への光の入り方が幻想的で、本当に妖精なんかがフワフワ飛んでいそうな雰囲気だった。

 この修道院の詳しいことは覚えていない。ひとつ今でも鮮明に思い出せることに、中庭を臨む回廊がある。庭に面した場所は石造りのベンチになっていて、座ることができた。そこに座って写真を撮ったんだけどな。あーあ。

 

発見のモニュメント

 地理の教科書の表紙がこの塔の写真だった。海に向かってレッツゴーなエンリケ航海王子と愉快な仲間たち。実物を見るなり、思っていた数十倍大きくて爆笑した。

昔は強い国だったんだね、再び。

 そして観にきている人がいない(笑)

 この時、像の奥に長い橋がかかっているのを発見した。渋い赤で、青空によく映える橋。長さもまぁまぁあって、何もないところにかかっている様子が気になり、発見のモニュメントよりもこちらを覚えているくらいだ。

 市街地への帰りはバスに乗った。途中、学校があるのか下校中の学生も乗って、東京のラッシュ電車のようになった。ノンビリしていそうな街なのに信じられない。さらに信じられないことに、このバスの中で痴漢に遭った。東京でも痴漢に遭ったことはなかったこともあってイラっとし、文句を言おうと振り返る。ポルトガルでも犯罪なのかどうかは知らない。すると、なんと中高生くらいの男子で驚いたのと呆れたので、あっさりお咎めをした。

「おい、こら、君。ふざけんな」

 みたいなことをビシャリと言う。毎日ラッシュ上等な街から来たピチピチの女子大生をなめるなと思った。

細い坂道がたくさん

 本当は山の上にあるお城にも行ってみたかったのだけど、時間切れで途中で諦めた。歩いたり、バスに乗ったり、細い道を人も車もゆっくりと行き交う感じが好きだった。一度降りてそぞろ歩きをしたバスにふとまた出くわした時、車掌さんが「乗る?」と乗せてくれたり。いいのかなー。知らない。建物がベージュの石で作られているからなのか、日が刺すと辺りは明るく感じた。

 

 時間は東京よりもずっとゆっくり流れてる。大人になった今こそもう一度行って、ゆっくりダラダラとした滞在をしてみたい。

 

 今日の場所は、大吟醸トラベルマップの50番。

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49と101:ポルトガル行きの電車の思い出

daiginjo travel Portuga dawn

モンパルナスから夜の旅

モンパルナス 15:55 
イルン 21:31
リスボン 10:40

  日記にはこう書かれている。ドイツやオランダに入る時に乗った夜行が楽しかったからだと思う。パリからTGVでスペインのイルンまで。その後、夜行でリスボンまで。またあの超快適な電車に乗って、と楽しみだった。

 だけど、思い返せば乗り換えた後の電車こそが、このヨーロッパ旅行で一番タフだった。簡単に言うと大失敗だった。

バイヨンヌ

 イルンに入る直前、フランスにバイヨンヌという街があった。当時は暗くてたいした印象がなかったのだけど、何年か後にツール ド フランスの中継でこの街が映された。奥に海が見えて、ヨーロッパらしい乾いた土と緑の街。

「窓の外にはこんな風景が広がっていたのかー」

と通過しただけだったことを残念に思った。何があるのかは知らないけれど、テレビで観たあの景色の中を散歩してみたい。

 そして、そのすぐに後。フランスとスペインの西側の国境にあるイルンという街で電車を乗り換えた。ここからはスペインを通りながらポルトガルへ。リスボンに着くのは朝の予定。そして、これがちゃんと調べておかないと!と後悔しまくった唯一の電車だった。

激混み電車

daiginjo travel Portuga dawn

 上の線がイルンからリスボンへ行くのに通った道。旅程を見返すと十時間以上、電車に乗っていたことになる。信じられない。というか、もっとちゃんと考えなよと思う。

 このスペインからリスボンに行く電車というのは、北から南へと旅をしてきた私が初めて体験する万人状態だった。事前予約制なので席はある。それでもどの路線でもほとんど乗客がおらず、コンパートメントどころか車両を独り占めしていた私たちは「勝手が違うぞ」とドキドキした。

 コンパートメントのドアの鍵をしっかり締めなさいとしきりに促すおじいさんが怖い。もしかして犯罪がすごいとか。それにコンパートメントも狭い。たいていひと部屋六人席のコンパートメントが初めて満員になるのを見て、定員で乗るときついことを思い知った。

 もう絶対乗らない。というか乗れません。

ポルトガルの夜明け

daiginjo travel Portuga dawn

 同室の方は、たぶん地元の方なんだろうというお顔立ち。ぴったり六人で座っていることに体はもちろん心にも疲れを感じたので、私はコンパートメントを出た。コンパートメントの前に通路、その先は窓になっていて美しい夜明けが見えた。

 辺りはまだ暗くて、窓の外がどうなっているからは薄っすら見えるだけ。空の高い場所も真っ黒で、地平線に近い所が紫になっていた。当然、藤城清治さんが頭に浮かぶ、そんな光景。

 風がゴーゴー入ってくると思ったら先客がいた。同い歳くらいの長身の男性で、暗い色のカーリーヘア。全開にした窓にもたれてタバコを吸っていた。ヨーロッパの男の子(同世代だったしあえて“子“)は情緒的だと思う。私に気づくとタバコを差し出した。

「吸う?」

 当時も吸っていなかったし、今でも吸わない。だけど、タバコは若い子は粋がって吸う雰囲気があったし、ヨーロッパ人の消費量が半端なかったから話を合わせてもらいタバコをする機会が多かった。ザ・Noと言えない日本人。それは知っていたから成田で日本のタバコをワンカートン買っておいて、使える時に使っていた。

 そんなこんなで、うっすらと目の前に広がる初めてのスペインかポルトガルの景色。オリーブなのかブドウなのか。日本ではまったく見かけないカサカサした葉をもつ低木が並んでいて、それだけで興奮した。電車が走る音だけ。

 失敗したーと思った電車だったのに、あの時ほど美しい夜明けを再び見ることはできていない。知らない男の子とタバコを吸いながらボケーっとしたあの時間。混んでて快適ではないイライラが帳消しになる思い出だ。

 こういうことがあるから、不便な旅も止められない。

 確かにそう思ったのを覚えている。

 今日の場所は、大吟醸トラベルマップの49番と101番。

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47:ヴェルサイユ宮殿の思い出

 2000年のエッフェル塔はキラキラに照明が光っていてきれいだった。

 観光客の定番、ルーブル美術館は広すぎて全部をじっくり見るのは無理だと思った。覚えているのはモナリザが広い横長の部屋にポツンとあったこと。その印象が母が日本で観た時と同じ「小さい」だったことに笑った。あとはサモトラケのニケ像。当時身近な場所にあったレプリカをよく眺めていたから、おおっとなった。

 他にも誰でも行くような場所にも行ってみたけど、そこまでの感動がなかった。歳を取った今なら変わった印象を受けられるのか。気になっている。

ヴェルサイユ宮殿

 ベルサイユのばらに出てきていたから、いろいろな場所に覚えがある。わりと楽しみだった。宮殿に入る前の道がずっーーと石畳。薄いベージュ色をしていて、道幅が広い。さすが力を持っていた人の住まいだなと思った。ただし、この石畳という物はかなり足にくる。シニア旅行で来る人も多いと思うけど、ヨーロッパは若いうちに歩きつくしておいた方がいい。老体にはきつい。

 確か宮殿正面に騎乗像がデーンと置かれていたと思う。日本のお城にああいう像はあったかな。自己顕示欲の差を見たような気がした。その他建物はきっとほとんど当時のまま。鏡の間は圧倒的ですごかった。王族が使っていたという調度品の小ささが気になった。あとは変な匂いがした気がする。建物の構造のせいか防虫対策のせいかはわからない。日本の歴史的建造物では感じない、あまりいい匂いがしなかったのは残念だった。

 そして庭。なんと休園していた。冬だからなのか、メンテナンス期なのかは知らない。素敵だと聞いていたし、ベルサイユのばらにもたくさん出てきた庭一帯に入れないのは残念だった。二階辺りの窓から見ることができたのだけど、ものすごく広くて計算され尽くしていて端の端まで歩いてみたかったなと改めて思った。

ぶつかりまくる中国人

 ぶっちゃけると、フランスの日記にはフランス人と中国人観光客をひとまとめにして失礼な人たちだと何度も書かれている。何よりもぶつかっても何も言わないこと。フランス人はとりあえずの挨拶程度にパルドンくらいは言うけれど、中国人はそれすら皆無だった。

 結構な混雑具合のヴェルサイユ宮殿内で、中国人に肘鉄をくらったことを今でも覚えている。おまけに彼らは団体でうるさい。今、改めて思う。東京が爆買いする彼らで溢れる二十年も前に私はそれを経験していたんだなと。

 下品だなと思う。だけど、中国人の前に自国外で同じようなことをしていたのは自分の親世代以上の日本人だし、あまり文句を言えないのが残念だ。

チョコレートタル

 確かヴェルサイユの街でものすごくエレガントなチョコレートタルトを売るお店があったのが忘れられない。シンプルにツヤツヤのチョコレートが流し込まれた、薄くて平たいタルトだった。

 お店の窓の外から気になった私は中に入る。ボンジュールとマダム。なぜか再びマダム。チョコレートタルトをひとつ買うとミスドのワックス紙のような物で包んで渡してくれた。

 そのままかじれと。なんか粋だな。ベリーが乗ったタルトを買った友達と共に町歩きをしながら食べた。コロナになってから、歩きながらお水も飲めなくなってしまって寂しい。石畳の街に黒っぽい服のマダムにクールなチョコレートケーキというとてもつもなく洗練された組み合わせを、今はもうできないでいるなんて。

TGV

 電車旅には役割分担があった。私はホテルを取るのと行く先々でわからないことを聞くこと。友達はタイムテーブルでルートを考えること。夏休みに海外に英語の短期留学をしたりして意識高い系と思っていた友達があまり英語を話せなかったため、こうなった。私が語学留学、特に日本人がまとまって行くようなものに興味がないのはそのせいでもある。

 フランスの次はポルトガルを目指した私たち。当然TGVに乗る。世界的に爆速の新幹線に慣れている日本人でも気になる乗り物だったから。パリからボルドーを通ってイルンというスペインとの国境の街まで。そして驚いた。

 速さは新幹線と変わらない。だけど、耳が痛い。両サイドにぶどう畑が広がっているような広大な大地を突っ走っているのに、始終耳抜きをしていた。フランス人の幼児は平気な顔して車内をフラフラしていたけど平気なのだろうか。

 日本人とフランス人とでは体に差があるのかもしれない。だけど、きっと便利大好き日本の新幹線はそういう細かいところまで気づかって設計しているのだろうなと勝手に考えた。

 パリは雨ばかりだったのに、ボルドー付近は良いお天気だった。きれいな景色で感動する。だけど、国境に到着してその後は、大変と素敵が入り混じる経験が待っていた。

 

 今日の場所は、大吟醸トラベルマップの47番。

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46:ディズニーランド パリの思い出

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 フランスに行ってここに行く人はどのくらいいるのだろう。

 パリにあまりいい印象をもてなかった私たちは、ギャグとしか言いようがない行動に出た。ディズニーランドがあるの?行っちゃう?千葉にある東京ディズニーリゾートにすぐ行ける場所から来た人の言葉とは考えがたい。私は特別ディズニーファンではないのだけど、一緒にいた子が行きたいと言うから行くことになった。

在来線でお菓子ちょうだい

 存在すら知らなかったフランスのディズニーランド。なんとここのディズニーは千葉にあるくせに東京を名乗っている東京ディズニーランドと同じく、パリにないのにパリを名乗っていた。そして、東京と同じように郊外に向かう電車に乗って行く。

 だけど、パリの駅でも電車の中でも京葉線で見るような舞い上がった誰が見てもディズニーに行くぞ客が見当たらない。人気ないのかな?それとも東京が異常なのか。

 そんなことを思っていた時だった。

「ねぇ、そのクッキーくれない?」

 フランス人のブロンドちゃんに突然言われた。

 たぶん中学生くらい。友達らしき女の子と二人でどこかに行くのか帰るか。子供のくせにナチュラル ボーン エロティックな雰囲気をまとっているのが悔しい、私が考えるいかにもフランス人の子供だった。

 髪を日本の女子みたいにキチっとセットしていないのがいい。ベッドから出たまんま、風に吹かれるまま。そんな抜け感作りを無意識のうちに習得している。それが髪質と気候のせいなのは年を取った今は知っているけれど、当時は不思議でたまらなかった。そういうエロい子供が年相応なピンクのマフラーなんかをしてるのが、またとてもいい。

 そんなかわいい子達ではあったのだけど、私が手に持っていた王子のクッキーを指差されて欲しがられて、私はこう思うしかなかった。

「えっ、なんで?」

 海外では物乞いの方を結構見るけれど、この子たちはどう見ても違う。それに、フランスでは「見ず知らずの人にもらった食べ物を食べてはダメ」とか教わらないのだろうかと思った。

 だけど、私はNOと言えない日本人(笑)。すんなりあげた。親切にお友達のブルネットちゃんにもどうぞと勧める。

「メルシ〜♪」

 メルシーじゃないから(笑)

 もし日本の電車で歌舞伎揚げを食べてる人を見かけても、「ちょうだい」とは言わない。ローカル線意味わかんない。

王子のクッキー

 その時食べていたクッキーの絵。パッケージに王子様が描いてあって、商品名がプリンシペみたいな感じだったから勝手にそう呼んでいた。また食べたいなと調べたら、同じメーカーのマリービスケットがアマゾンで売っていた。しかも箱売りのみ、一個買い不可(笑)圧巻の十八個セットをご開帳。森○とは違ってバターが少なく、サクサク軽いのが好み。

 非常時用にもいいからと買ったけど、ボリボリ食べてしまいそう。コーヒーより紅茶に合いそうなシンプルな味はきっと飽きが来ない。この販売元さんにはぜひ王子のクッキーも仕入れてほしいなと思う。

大人なディズニーランド

 きちんと調べるとかなりの規模らしいのだけど、そんな風には感じなかった。でも、言われてみれば…なこともいくつか。思っていたより人はいるのだけど、混んでいる様子は一切なし。「パリの人が子供を連れてのんびり遊びに来るんだな」と感じたのを覚えている。

 当時は確か直前に東京ディズニーランドにも行っていた。そんな私が感じたパリのディズニーランドの違いは以下のとおり

  • お城:シンボルのお城が眠れる森の美女のお城だった。シンデレラよりずっと低くてピンク色貴重のタイプ。これはこれでかわいかった
  • アラジン:私が好きなアラジンのアトラクションがあった。けど内容をさっぱり覚えていないし、日記にはかわいいとしか書かれていない
  • スペースマウンテン:日記から引用すると”日本とは比べ物にならないくらいすごい。回転した。テーマが月世界旅行というのもいい”だそう。月世界旅行といえばフランスのジョルジュ メリエスが監督した古典のサイレント映画があったけど、確かそんな感じだった
  • 不思議の国のアリス一番覚えているのはこれ。自分が小さいアリスになった気分になってさまよえる巨大迷路があった
  • 自力で歩くタイプが多い:日本のような乗り物に乗って何かのアトラクションを巡るタイプよりも、歩いて見たり体験するタイプが多かった。そのおかげもあってせわしなくなくて、心の余裕があったように思う
  • 日本のように大量のショップやレストランがあった記憶がない
  • 園内は静かでファミリー多し
  • 閉園が16時くらい(冬場)だったと思う。がっついていないところがいいなと思った
  • 日本人というか外国人観光客には会わなかった気がする

こんな感じ。

 今のサイトを見たらだいぶ変わっているようで、東京もそうだったようにリゾート化していた。日本人も行くようになったのかな。

 園内のお店で買った上のポストカードが残っているのだけど、よく見ると眠れる森の美女のお城にティンカーベルが飛んでいて変。鳥はシンデレラのドレスを着せてくれた鳥だろうか。人種や生活環境を問はずどこに行っても子供に好かれているし、人気コンテンツであることはすごいなと思う。

 

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 今日の場所は、大吟醸トラベルマップの46番。

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バルミューダのレンジを買って、まだまだだねと思う

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 念願のバルミューダを買った。

 本当は最初に緊急事態宣言が出た頃に買おうと思ったのだけど、在庫切れになっていた。給付金も出たし、家での時間が増えたし、皆することは一緒。

 家に置いて、使ってみて、やっぱりいいなと感じている。佇まいも音も無駄な機能が付いていないところも。特に音にはビックリした。

「うちの三歳児がレンジの前で踊っています」

 こんなコメントを見つけてはかわいいなと和んでいたけど、いい大人もメトロノームに合わせてつい踊る。信じられない。できあがりの際は「ジャジャジャーン」と一緒に歌う。信じられない。使い始めてから我が家はキッチンが格段とグレードアップしただけでなく、生活が楽しいものになった。

 そう、使い始めるまでは。

設置するまではひと苦労

 想像していなかったのは届いた後の大変さ。これもまた予想していなかった。

1. 配送用の箱に入った状態で届く

 購入したお店の箱で届いた。もちろん大きく、配送業者さんが大変そうだった。

2. 開けたらさらに箱

 箱を開けたらさらに箱だった時の空虚感。そして、内箱にぴったり合うサイズの外箱から内箱を引っ張り出す大変さは想像以上だった。抜ける訳ない。資源ゴミに出す時のことを考えるとダンボールの形状はそのままキープしたいのだけど止むを得ず。外箱をビリビリと破いて内箱を救出した。家電用のダンボールはアマゾンのダンボールと違って厚い。切り裂くことはそんなに簡単ではなかった。

3. バルミューダの箱を開けて本体

 内箱はセンスの良いバルミューダの箱だった。こちらもしっかりしていて固い。フタを開けると発砲スチロール、それを外すとやっと本体が見えた。ワクワクドキドキが募る。

 バルミューダの箱には本体を取り出す時の注意が書いてあって、そのとおりに事を進めていった。だけど、この箱もまた本体にピッタリで全然出てこない。すごく大変。一度に引っ張り出すことができず、途中で休んでまた取り組んだ。

 だけど出てこない。そして、私は再び箱をビリビリと破いて本体を取り出すことになった。

4. 設置、説明書兼保証書を取り出す

 やっとのことで考えていた場所にレンジを置き、コンセントをつないだ。使い方はわかるけど一応説明書はとっておくことにした。

素晴らしいけどまだまだな理由

 私はApple製品が好きだ。パソコンはMacしか買ったことがないし、電話も何もかも帰る物は全部アップル。その大きな理由はもちろんデザインなのだけど、二番目の理由は“箱から出してすぐに使えるところ”だった。

 でもバルミューダの場合は、箱から出すのが大変だった。これは本当の本当に盲点で自分でもビックリ。その瞬間にワクワク感はかなり削がれ、そこらの家電量販店から商品を持ち帰ってきた気分になった。これがバルミューダがまだまだだと思った理由その壱。気になったポイントは他にもある。

 まず箱や梱包材に無駄がない。アップルのかっこよさのおかげで、その後西海岸のスタートアップ企業が発売する画期的な商品もまた、ゴミが少ない仕様になっていると感じている。

 次に説明書。アップル製品には私が買い始めた二十数年前からたいした説明書がついていなかった。感覚的に物を使えることの素晴らしさ。これはイケアのDIY製品にも同じことが言える。イケアの組立説明書には文字の代わりに丸っこいおじさんっぽいイラストが描かれていて、組み立ての順序を絵で説明してくれるのだ。スウェーデン語が読めなくても、ぶっちゃけ字が読めなくてもイケアの商品を使うことができる。いいことだなと思う。

 それに比べると、バルミューダはまだ本体の美しさだけだと思った。上の写真が設置完了後に出たゴミ。ダンボール、紙、発泡スチロール、ビニール袋いろいろたんまり。捨てる側からすると、かなりゲンナリする光景だ。説明書も日本の大手家電メーカーの半分くらいの厚さにはなっているけれど、それでもここだけいきなり普通の日本企業感が満載なことは否めなかった。

 機能の追求は得意な反面、ダサい製品しか作れない日本人が良くやってると思う。日本の家電メーカーの常識を覆したメーカーだから、こういうところもがんばってくれるといいなと今日もギターを鳴らしながら考えている。

 

 私は買ったのは楽天のこのお店。次の日に届いていきなりクッキーやブッセを焼いた。生活の質が向上しまくり中です。

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45:パリの思い出

 “ユーロスターは狭くてつまらなくてずっと寝ていた”という日記の横に

オプティフリーは痛い出費

というメモがあった。そうそう、ロンドンでコンタクト洗浄液のオプティフリーを購入していた。私は普段はそれほど物を無くしたり忘れたりしないのだけど、旅の途中は仕方ないかなと思っていた。

 仕方なくロンドンのマツキヨのようなお店で買ったのだけど高い。大きい入れ物で2500円くらい。日本のドラッグストアでは同じような大きさがもうひとつと小さいボトルも付いた三点セットで千円以下のコンタクト洗浄液が2500円。思っていたより日本はこういう生活用品が安い。何でも現地で買えばいいなどと思わず、しっかり備えて行くのが良いと教訓になった。

日本人

 パリはロンドンよりもっと都会だった。というか観光客が多い。そしてめんどくさい人が多かった。最初にめんどくさいなと思ったのはなんと日本人。ホテルに入るなりロビーで出くわした同じくらいの歳の日本人女性だった。

「部屋ないですよー」

 謎の偉そうな態度(笑)彼女は友達らしき日本人数人とロビーでたむろしていた。予約しないで来たらしい。なぜだかホテルの人に近くの似たホテルを探させて、夜になってくる雨のパリで荷物を下ろせないことにイラついているみたいだった。

 ヨーロッパの冬場は夏に比べて観光客がかなり少ない。だからなのか、ホテルに行ってみて空きを確認するという人も多かった。私も田舎ではそうしていた。ただし、事前に電話で一応聞く。そんな現実にも関わらず、あまりホテル事情が良くないと言われるパリに予約しないで来るとは余裕だなと思った。

中国人

「あっ、これこれ」

 レセプションの女性が見るモニターに自分の名前を見つけて指差した。お客から予約情報の画面が見えていいのかという疑問には触れないでおく。とにかく、私もさっき話しかけてきた日本人女子と同様に予約がないと言われ、確認し直してもらっていた。今と違ってiPhoneで“予約済“のメール画面を見せることができない時代の話だ。

 パスポートと照らし合わせて確かに私の予約が入っていることを不思議がるレセプションの人。 私は気づいた。画面の予約リストの中に国籍があって、私の国籍が中国になっていたのだ。だから首を傾げていたのか……。私の名前は今の日本では普通の名前だけど、いろいろな別の国の人に間違えられることが多い。この時は中国。イラっとするけど、それは外国人をひとくくりにする日本人が言えたものではないか。

フランス人 

 旅日記のフランスのページを見ると至る所に

“フランス人はあまり好きになれない” 

と書いてある。今考えるとフランス人ではなく、パリ人だと思う。とりあえず道でぶつかっても「パルドン」と言えばいいと思ってる感じが嫌だった。痛かったし。

 お高く止まってる感じも鼻についたし、自分が良ければそれでいいと思ってるなと感じること常だった。私にはパリが好きで語学留学をしていた友達がいた。その子に何でこんな所が好きなのか聞きたかったくらい。

 合う合わないは人それぞれだから仕方ない。何か違う経験ができたら違う印象を得られたのかも。

ケーキ屋さんのマダム

daiginjo travel france paris people

  でも、素敵なマダムもいた。ホテルの近くのパン屋さん。フランスは確かにパンがおいしく、いろいろなお店で買って食べては日記にもおいしいと書いていたようだ。わざわざパン屋が日本に来る訳だ。だけど、日本で買うように卒倒しそうな高級さではなく普通の庶民価格だった。

 素敵なマダムがいるお店ではバゲットとイチゴタルトを買ったらしい。チョコレートタルトだと記憶していたんだけど、それは別のお店のことかも。この方の見た目はまだ覚えているから、後で描きたい。ナチュラルなボブヘアで華奢な体に薄手の黒のニットとグレーのペンシルスカートを履いていた。物腰も話し方も柔らかく「ボンジュール」が素敵。

 客商売故のスキルなのだろうけど、人に素敵だと印象を残すのは大変なこと。日本のパン屋にもお高くとまってる方がいるから、あの人は素敵だったなと余計に感じるのかも。

横断歩道でロシェをかじる父親

 これはパリで見た衝撃の家族風景。

 街中で父母と小学生くらいの娘ふたりが一緒に歩く姿を見た。子供達もシックなワンピースと革靴を履いていたから、きちんとした家のきちんとしたお出かけだったのだろうと予想した。お父さんはグレーのストライプのスリーピーススーツ。スラリと細身のおしゃれな人だった。

 でも、そのお父さん。母娘と離れて、何かせわしなく歩いていた。よく見ると手に大きなロシェ。ロシェというのは丸い形のチョコレート。砕いたナッツとチョコレートが絡まって、中にはヘーゼルナッツクリームが入ってる物で、カルディで金色の包み紙に包まれた物をよく見る。このお父さんはすぐ横のショコラティエでロシェを買って食べていたのだった。

 そのロシェは日本のおはぎの半分くらいある大きな物で、お父さんは包み紙を開けるや否やかじりついた。横断歩道の上なのだけど……。その姿があまりにもはしたなくて、私は思った。

「お父さん、家までがまんできない?」
「自分だけ今、食べないとダメなの?」

 鍵かっこにしたのは声に出したから。あまりに驚いて、日本語で友達に言ってしまった。なんだかな。こういうところが胸キュンなのかな。と、若い私は思った。

 

 と、こんな感じに私のパリは素敵と嫌が半分くらいだった。あれから行ってないけど、今行ったら違う気持ちになるのだろうか。行けるようになったら行ってもいいななんて、こんな状況だから考えている。

 

 今日の場所は、大吟醸トラベルマップの45番。

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44:ロンドンの思い出

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 この時のロンドン滞在の思い出は本当に少ない。というか、印象が薄い。久しぶりの都会で古く美しい街なのに、何を書こうかパッと思いつかない。もしかしたら逆に見所がありすぎたのかも。

ユーレイルパス対象外

 イギリスの日本語の正式名称は『グレートブリテン及びアイルランド諸国連合』だと習った。今はどうやら『グレートブリテン及び北アイルランド連合王国』らしい。

 外務省のページも確認した。となると、若い先生が採点するテストでは私は不正解になりそうだ。たぶん”アイルランド諸国”を当事者が受け入れなかったのだろう。そりゃそうだ。私が習った名称ではアイルランドアイルランドで、北アイルランドはイギリスと理解するのは難しい。私は洋楽が好きで、その頃はUKロックなるものが流行っていたから簡単に理解できただけだもの。

 ということで、イギリスはユーレイルパスが対象外の国だった。ブリクジットした今もそうだけど、ユーロが出始めた当時だって自分たちはポンドだと譲らなかった人たちだ。思っているより日本人と似たような島国根性をもっているのかも。

 たくさん行きたい都市があった。でもパスが使えないなら次回のお楽しみにするべきだ。そして、パスが使えないイギリスを旅行日程の真ん中に挟んでしまったことを後悔した。イギリスは最初か最後。そうすると飛行機代が高くなりがちなのは残念だけど。

ロゼッタストーン

 食事はパブで食べるような物は私は好きだし、思っていたよりエスニックなご飯が多かった。なので比較的東京に似た生活。ただしロンドンは緑が多い、公園が多い印象だった。広いハイドパークを通って宮殿を見た。そして大英博物館を訪れた。この博物館を訪れたことで、博物館やその国が保有する貴重な品々についての考え方が変わったことを覚えている。

 大英博物館は超有名、所蔵数などを考えても世界トップクラスの博物館なのは理解できる。だけど展示物を見れば見るほどそれが盗品や略奪品であることに心が痛んだ。手に入れた方法は表向きには寄贈や購入でも、本来あった場所や持ち主から戦争で負けたことを機に持ち出された物だ。なんだかなと。いろいろな国のいろいろな時代の遺物の何を見ても、略奪した物を展示しているとしか見えなかった。

 とは言え、この美術館で覚えていることはふたつしかない。ひとつめは、入館料が寄付だったこと。もうひとつはロゼッタストーンだ。

 ロゼッタストーンとは英会話教材ではなく、歴史の教科書に載っていた石のこと。ナポレオンのエジプト遠征の時に持ち帰られた物であったはずだ。世界的にもよく知られているようで、この石が置かれている場所の周りには人だかりができていた。そしてびっくりした。

 むちゃくちゃ大きい。

 教科書にあったのは、石そのものの写真だった。比較対象はない。それを見た私は勝手にティッシュの箱くらいの小さな物だと思っていた。だってエジプトから持ち帰られた物。まさか760kgもある物だとは想像していなかった。

 人気の博物館だから観客には日本人が多くいた。そして、たぶん多くの日本人が同じことを思い、当時まだよく見た“タバコの箱を一緒に撮って大きさを比較”している人が結構いた。展示方法も今とは違い、博物館の壁に沿ってガラスケースに入って置かれているだけだった。裏側は見られない。

 ストーンと呼ばれているけど、これは岩だ。何気に一番気分が上がった。また見に行きたい。

吉井和哉さんに会った日本人

 もうひとつだけ、よく覚えていること。ロンドンでは同世代の女性ふたり組と会ったのだけど、その子たちが「今、イエモンの吉井さんに会ったんだよ」と言っていたこと。都会だと旅の途中の日本人にもよく会うし、有名人を見かけたりする。それもまた楽しかった。

ユーロスターに乗る

 次の目的地はフランスのおパリだったのだけど、避ける予定だったユーロスターにすんなり乗ることにした。来る時にフェリーで爆酔したから。

 想像していたとおり座席は狭く、日本の新幹線にそっくりだった。しかもほぼトンネルで車窓なし。素敵でもなんでもなかった。でも乗ってよかったと思ったのは、出発地のウォータールー駅が素敵だったこと。マット デイモンの『ジェイソン ボーン』シリーズにも出てきたあの素敵な構内を思い出したくて写真をググったら、なんだか違う。セント パンクラス駅(St. Pancras station)なんて駅に行った覚えはない。

 知らぬ間に駅が変わっていた。どうりで記憶にない訳だ。でも、この駅もまた美しい。ロンドンの建物は石の使い方が華奢で繊細だと思っていたけど、鉄もまた細く細かく配置している。オレンジの光と合っていてきれい。また行きたいな。でも教訓を活かして、イギリスはイギリスだけをたっぷり巡る。今度こそ。

 

 今日の場所は、大吟醸トラベルマップの44番。

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