49と101:ポルトガル行きの電車の思い出
モンパルナスから夜の旅
モンパルナス 15:55
イルン 21:31
リスボン 10:40
日記にはこう書かれている。ドイツやオランダに入る時に乗った夜行が楽しかったからだと思う。パリからTGVでスペインのイルンまで。その後、夜行でリスボンまで。またあの超快適な電車に乗って、と楽しみだった。
だけど、思い返せば乗り換えた後の電車こそが、このヨーロッパ旅行で一番タフだった。簡単に言うと大失敗だった。
バイヨンヌ
イルンに入る直前、フランスにバイヨンヌという街があった。当時は暗くてたいした印象がなかったのだけど、何年か後にツール ド フランスの中継でこの街が映された。奥に海が見えて、ヨーロッパらしい乾いた土と緑の街。
「窓の外にはこんな風景が広がっていたのかー」
と通過しただけだったことを残念に思った。何があるのかは知らないけれど、テレビで観たあの景色の中を散歩してみたい。
そして、そのすぐに後。フランスとスペインの西側の国境にあるイルンという街で電車を乗り換えた。ここからはスペインを通りながらポルトガルへ。リスボンに着くのは朝の予定。そして、これがちゃんと調べておかないと!と後悔しまくった唯一の電車だった。
激混み電車
上の線がイルンからリスボンへ行くのに通った道。旅程を見返すと十時間以上、電車に乗っていたことになる。信じられない。というか、もっとちゃんと考えなよと思う。
このスペインからリスボンに行く電車というのは、北から南へと旅をしてきた私が初めて体験する万人状態だった。事前予約制なので席はある。それでもどの路線でもほとんど乗客がおらず、コンパートメントどころか車両を独り占めしていた私たちは「勝手が違うぞ」とドキドキした。
コンパートメントのドアの鍵をしっかり締めなさいとしきりに促すおじいさんが怖い。もしかして犯罪がすごいとか。それにコンパートメントも狭い。たいていひと部屋六人席のコンパートメントが初めて満員になるのを見て、定員で乗るときついことを思い知った。
もう絶対乗らない。というか乗れません。
ポルトガルの夜明け
同室の方は、たぶん地元の方なんだろうというお顔立ち。ぴったり六人で座っていることに体はもちろん心にも疲れを感じたので、私はコンパートメントを出た。コンパートメントの前に通路、その先は窓になっていて美しい夜明けが見えた。
辺りはまだ暗くて、窓の外がどうなっているからは薄っすら見えるだけ。空の高い場所も真っ黒で、地平線に近い所が紫になっていた。当然、藤城清治さんが頭に浮かぶ、そんな光景。
風がゴーゴー入ってくると思ったら先客がいた。同い歳くらいの長身の男性で、暗い色のカーリーヘア。全開にした窓にもたれてタバコを吸っていた。ヨーロッパの男の子(同世代だったしあえて“子“)は情緒的だと思う。私に気づくとタバコを差し出した。
「吸う?」
当時も吸っていなかったし、今でも吸わない。だけど、タバコは若い子は粋がって吸う雰囲気があったし、ヨーロッパ人の消費量が半端なかったから話を合わせてもらいタバコをする機会が多かった。ザ・Noと言えない日本人。それは知っていたから成田で日本のタバコをワンカートン買っておいて、使える時に使っていた。
そんなこんなで、うっすらと目の前に広がる初めてのスペインかポルトガルの景色。オリーブなのかブドウなのか。日本ではまったく見かけないカサカサした葉をもつ低木が並んでいて、それだけで興奮した。電車が走る音だけ。
失敗したーと思った電車だったのに、あの時ほど美しい夜明けを再び見ることはできていない。知らない男の子とタバコを吸いながらボケーっとしたあの時間。混んでて快適ではないイライラが帳消しになる思い出だ。
こういうことがあるから、不便な旅も止められない。
確かにそう思ったのを覚えている。
今日の場所は、大吟醸トラベルマップの49番と101番。