114 & 54:ケルンとコブレンツの思い出
バルセロナにいる間、次はどこへ行こうか考えた。
東に行ってフランスの海岸沿いを楽しんで、イタリア、それからユーレイルパスが有効なギリシャまで行ってみようか。本当に先のことは何も考えていなかった。
そこで私たちが出した決断は、ドイツに戻る、だった。
バカだな(笑)いくら南端とはいえ、パリでフランスに対するイメージが最悪になっていたのが主な理由。反対にドイツに対する印象はすこぶる良く、今度は内陸のライン川沿いを見てみようということになった。
バルセロナ→ケルン
地図を見直して、ここでもバカだなと思った。なぜ飛行機を使わなかったのか。ユーレイルパスを使うことにこだわっていたみたい。モンペリエ、リヨン、ディジョンを通ってここは何も覚えていない。そして結局、またパリへ。
今日はパリでまたムカつくこと満載
とわざわざ書いている。若い時はどうしてこんなに頻繁にムカついたのだろう。今なんてたいして何もムカつかない。どうでもいいと思うことが増えたのか。どうやら、ここまでの旅の間に日本から持ってきたマフラーとシャカシャカ、つまりアノラックを紛失したらしく、それでイライラしていたのだと思う。
ケルン駅の売店でビジネスマン
ケルンは大聖堂のある街くらいしか知らなくて、今回も電車を乗り換えるだけ。ただ乗り換え時間には余裕があって、駅の中を楽しんだ。
ヨーロッパの駅は本当に素敵。ケルンの駅もまたスケールが大きかった。天井は明るくて、地面のレベルは暗めになる。教会に似てる。ケルンの駅は観光客であふれかえるというより仕事に行く人が多いようで、厳かな空間をスーツでせわしなく歩く人が多かったように思える。私たちもご飯を食べて、コーヒーを飲んでと楽しんだ。
そして、本屋に入った。ケルンまでの道のりがかなり長く、そろそろ電車にも飽きていたからだ。本はほとんどドイツ語だったけど、英語の物も少しはある。何か買って読もうかなと手に取ると、すごく高かった。ペーパーバックで$30弱した気がする。
「高いな…」
とつい声が出た。その時、間髪入れずに私の横から声がした。
「インターネットノ アマゾンデカウト〜 ヤスクカエマスヨ」
隣にはスーツ姿のメガネ男子。背が高くて、私は見上げる格好になった。
この「インターネットノ」のフレーズはいまでも忘れられない。インターネットとアマゾンだけ日本語ネイティブでない発音で、後は十分に上手な日本語だった。いきなり超日本企業に放り込まれてもやっていけそうなくらい。
ケルンのことは何も知らず、日本語を話す人がいるなどどまったく考えていなかったからビックリした。でも地図を見ると、近くには日本でも知られるフランクフルトや日本企業が多いと聞くデュッセルドルフがあるから、必要だったり興味をもつ人もいるのだろうと思った。
ライン川沿いを走るローカル列車
そして電車に乗る。ローカル列車と書いたけど、ローカルなのか?というくらいきれいで快適な電車だった。車両だけなら新幹線みたいな感じ。ずっと川を眺めていたと記憶しているのだけど、地図を見ると川が見えてくるのはボン付近からであることがわかる。
当時の私はボンと聞いてどんな街かがすぐにわかった気がする。でも今の私は「ボンは有名だけど、何で有名なんだっけ?」と思ってしまった。西ドイツの首都だ。ベルリンの壁崩壊は1989年だから、この時はまだ十年経ったくらい。それからさらに二十年経つとすっかり忘れてしまっていた。
ボンには降りなかったけど、かつて首都だった街はどんなだったのだろう。今度は行ってみたい。
花がいっぱいのコブレンツ
と日記に書いてある。「素敵」で「かわいい」ともある。でも降りた記憶はない。こういうのをとても残念に思う。いろいろな街に行ったけど、どうしても小さなことは忘れてしまうし、記憶違いもたくさんある。今度どこかに行ける時が来たら、しっかり残しておきたいなと思った。
今日の場所は、大吟醸トラベルマップの114番と54番。