39:アムステルダムの思い出(その1)
オランダは衝撃の連続だった。何かと言えばカルチャーショック。オランダと聞いて想像していた風車や干拓っぽいことは見られなかった。場所が違うのだろうか。冬だからチューリップは無理だとしても、それなりに絵に描いたような穏やかな風景を見られると思っていたのに。
アムステルダムの駅前
アムステルダムには中心にある駅に着いた。構内を出ると、日本の駅と同じく大きな交差点になっていた。渋谷のスクランブル交差点みたいな感じ。渋谷ほどの人はいなかったと思うけど、私には同じくらいに感じた。なぜなら皆、驚くほど長身だったから。
友達も私も160cm後半。日本人女性としては平均より高く、日本で背が小さいと言われたことはなかった。なのにアムステルダムの駅前で感じたのは、オランダ人はガリバーで私たちは小人。女性でも180cmくらいあったと思う。男性はもっと背が高く、彼らの間に立つ私達は本当に小さい。信号が変わるのを待つ間に笑いそうになった。
タバコのポイ捨て天国
次に驚いたのはタバコ。二十年も前の話だから、世界が今ほど嫌煙ムードになかったのは事実。それにしてもすごかった。まずは喫煙者がほぼ全員。日本人もタバコを吸う人が多いけど、ヨーロッパの人はそれよりずっと多いと思ってた。
歩きタバコもちろん歩きタバコ。街に喫煙所なんてなかったと思う。そしてポイ捨てが当たり前(笑)吸殻は好きな場所で道路に投げ捨てるから、道路の側溝付近にはタバコが数センチの層になって溜まっていた。汚い。清掃車は来ないのか、日本とは違うのはわかっているけど、そんな微妙なことが気になった。
アムステルダムは北京だ
駅から数十メートル程度しか歩いていないうちに、またしても衝撃を受けた。道を渡ろうとしたら、女性に大声でどなられたからだ。ただの女性ではない。自転車で爆走して向かって来る女性。怖い。鬼の形相だ。その後、世界は自転車びいきになり世界のいろいろな場所で自転車民を見て自分も乗ってきたけど、あの時ほどの勢いで自転車をこぐ一般人を見たのはあの時限りだ。
たぶん「邪魔!」と叫んでいたのだと思う。私は歩道を降り、横断歩道を渡ろうとしていただけだ。だけどアムステルダムの道には歩道と車道の間に自転車道があって、そこは自転車以外の何人たりともが足を踏み入れては行けない場所のようだった。
怖かった。自転車に轢かれる。あまりの衝撃だったのか、当時の日記に「アムステルダムは北京だ」と書きなぐっている。そう、当時の中国といえば北京で、北京といえば通勤ラッシュが自転車だった。今ではたぶん違うのだろうけど、そういえば何があったのだろう。
ブラジル人の大合唱
オランダともオランダ人とも関係ないけれど、アムステルダムではブラジル人のナチュラル ボーン カーニバルの人な気質を思い知らされた。
この街で私たちはユースホステルに泊まった。ちょうどいいホテルがなかったのと、ユースホステルがきれいで快適だと聞いたから。これも経験。確かにきれいな建物で近くに公園もあって快適だった。
でも夜、ラウンジでブラジル人のグループがそんなのを持って旅をしてるのかと笑ったギターをかき鳴らし、大声で歌い、また歌が下手クソだったものだからイライラ。部屋の方まで爆音が響き、時間を考えなよと思いもした。日本人は静かな民族だ。北島三郎さんみたいなお祭り気質もあるけど、彼らとは何か違う。
ただし、他の人に注意されると明るく素直にやめていた。「あー、ごめんよ。アミーゴみたいな感じ」(絶対違う)ラテン系の普通なのか、南米の方の特徴なのか。ジメジメした性格でなく、ただひたすら陽気なのは少し見習うべきだと思った。
これだけでもアムステルダムはぶっ飛んでいると思った。日本人だと好きになるかならないかは半々くらいではないだろうか。私たちはまだ頭が柔軟な歳だったこともあって、日本ではありえないことばかりの日常を爆笑三昧で過ごした。衝撃は続く。
今日の場所は、大吟醸トラベルマップの39番。
38:ポツダムの思い出
ここは私が知る、世界で二つのとんがりコーン建造物。
ポツダムと言えば、ポツダム宣言。歴史の時間を思い出す場所だから行ってみることにした。ベルリンから電車で三十分。今ここに書くために調べてみて、また後悔した。とても魅力的な街だったみたいだから。
電車で旅ができるのはヨーロッパの魅力だと思う。一度目は電車で、二度目は車で移動するのがベストのように感じる。ポツダムという街の近辺は氷河か大河のなごりなのか、または人口の運河の残りか湖のような場所がたくさんあるみたい。そういう場所に惹かれがちなので行ってみたい。
サンスーシ宮殿
サンスーシ宮殿という場所がある。どうやってたどり着いたのかは覚えていないけど、鉄道の駅からは近いみたい。寒空の下、それでも多少の観光客の姿があった。到着した時に思ったのは、宮殿というより庭。この宮殿の印象はその庭だった。
丘の一番上に建物があって、そこまでの坂は階段を登る。両側は段々畑になっていて、そこにとんがりコーンよろしく鋭利な三角に整えられた緑の木が植えられていた。ガイド系のウェブサイトに載っている写真にも確かにとんがりコーンの植木はある。だけど、それ以上に夏場のこの広場は緑が多く、植木がよく見えない。
私が行った時、広場にある緑はとんがりコーンだけだった。他は壁と階段のコンクリートだけ。寂しい印象だったけど、その分とんがりコーンがはっきり目立ってよく見えた。その潔癖症よろしくなくらいにピタッと刈り込まれた様子にドイツを感じて、たくさん写真を撮った。でももうない。
ドイツオタクののH君
ドイツにいる間に思い出したのは、子供の頃の同級生H君のこと。男でお父さんの仕事の都合でドイツから引っ越してきた。お父さんがエリートで息子も頭が良い。だけど、まだ子供なのに既に軍事オタクで、いつどこでも自分の世界に浸りまくる変な人でもあった。
時はちょうどベルリンの壁崩壊の頃、その子は大興奮で学校にラジオを持ち込んで今何が起こっているのかに耳を傾けてはクラスメイトに情報をシェアしてくれた。ほとんどのクライスメイトにはいらない情報(笑)活きのいい男の子なんかはあからさまにうざったそうにしていたな。
彼は高校に上がる前に再びドイツに引っ越してしまって、その後はどうしているのか音沙汰がない。ヨーロッパのことをたいして知らなかった私には彼=ドイツだったから、この時も頭に浮かんだのだと思う。彼が住んでいた街は全然違う場所にあるのだけど。
そう、ドイツは広い。想像していなかったベルリンへの行き方のおかげで思っていたよりドイツに長居をした私たち。本当はもっとサラッと過ごそうと思っていたのに。でもこの後さらにドイツの旅が続くのだから思いつきは怖い。
ホーンテッドマンションみたいな電車席
ポツダム観光を終えた私たちはドイツを出る。この時の電車がすごくて、ホームに入ってきた時に感動した。ヨーロッパの電車は日本の物よりスケールが大きく、シートもゆったりしているのだけれど、この時のタイプには二回くらいしか乗ることができなかった。シートのイメージはディズニーランドのホーンテッドマンションの乗り物。ひとつのシートが卵の殻のような楕円形をしていて、人間は卵に包まれるように座る。よって、普通席なのに超絶リラックス。私は爆睡してしまった(笑)
ちなみに、私も友達も乗り物に乗ると寝てしまうタイプだったから工夫もした。この時はバックパックで行っていたのだけど、電車に乗ったら荷物は頭上の荷物棚に乗せて、まずは友達のと私のバックパックを自転車の鍵で繋ぐ。ロープタイプのやつで。次にもうひとつの自転車の鍵でバッグと荷物棚の柱を繋ぐ。自転車の鍵のロープは安い物でも簡単には切れないし、普段はバッグにくくりつけておけるから使い勝手が良かった。家を出る時に思いついて、お互い一つずつ持ってきた。会う人たちに「いいアイデアね」と褒められたな。
あと、当時の日記にはこの電車の中で関根勤さんに似た人に会ったと書かれている。何それ。たぶんというか絶対日本人ではなかったと思う。
この投稿の場所は、大吟醸トラベルMapの38番。
私のマイナンバーカード取得
在宅勤務のうちに面倒な役所関連は片付けておこうと思い立った。
今まではたいした通知カードで十分に過ごせたし、免許証もあるから身分証明書には困ってないし、5000円ぽっちのマイナポイントにつられて使いもしないカードの発行のために役所に出向く気は起こらなかった。ちなみに住基ネットカード?も持っていない。
そんな私はこれからは忙しくなりたいし、近所に住む友人たちにもいろいろと言われ、在宅勤務のヒマな間に取得しておくことにした。
申請予約
四月までいっぱいで、いきなり困る。
地域のウェブサイトを見ると、申請にはいくつか方法があることがわかった。指定の場所に行くこと、ネットで自分でする、街の証明写真の撮影機を使う。手元に写真がなかったので、私は指定の場所に行くを選びたかった。家から近いし、中抜けすれば平日の昼間も行けるから。来場予約が必要らしいので、書かれた電話番号に電話をする。日曜の昼間、おじいさまが応対してくれた。
「来場での申請はですね、四月までいっぱいなんですよ」
笑。
「マイナポイントの申請期限は確か延長してるから大丈夫ですよ」
それはまぁいいんだけど、いったいどうしたらいいの。
「自分でスマホからすれば早いですよ。写真は職員が撮るレベルだから(笑)、自分で好きなだけ撮り直した方がいいですよ」
笑いながらこきおろされる職員さん。おじいさん、さりげなくひどい。
ネット申請のID/PWを入手する
めんどー。だけど、まさかの家にあった(笑)
知り合いがネット申請にチャレンジして、結局IDとパスワードを受け取りに役所へ行った話を聞いていた。バカげているとプンスカ。怒る気持ちわかる。というか笑う。おじいさんにそれを伝えた。
「そうなんですよね。もし通知カードが届いた時のハガキを持っていれば、そこに書いてあるんですけどね」
え?
なんて言った?
通知カードが届いたのは五年くらい前だったはず。
「それ、捨てずに取ってあります」
急いで取ってきて中を探すと、確かにIDとパスワードが入っていた。
「よかったですね。それで申請してください」
おじいさんはたぶん「ちゃんと読めよ」と言いたかったと思う。というか、地域の申請ページにそのことを書いておけばいいのに。一言あれば自力でできたんだけど…、と小言は後でまとめて書く。おじいさんにお礼を言って、電話を切った。
自宅で申請
女優ライト登場。
私が自宅で申請に踏み切った理由は他にもある。偶然にも、いわゆる女優ライトを買っていたからだ。私の会社はオンライン会議の時に画面には顔は映さないのだけど、お客さんや協力会社との会議の時は相手に合わせてカメラをオンにする。夜の会議だとひどい顔…。いろいろな撮影にも使えそうだったから買ってみた。最高。
面倒だったから、おじいさんと電話をしたままの普段着でメイクだけ撮影用にハッキリさせて、女優ライトを使って写真を撮った。そしてもちろんレタッチ。街の証明写真の撮影機で申請できるのであれば、今や当たり前の美肌プラスや男前プラスくらいの補正は行っていいはず。なのでいい感じに仕上げてサクッと申請を済ませた。
できあがるのは二カ月後、ってそんな訳ないでしょ。取得率たった20%なんだから。
受取
受取予約
再び四月まで空きがない!
予想どおり四週間と少しでできあがり、取りに来てと封書が届いた。役所に行くのは面倒くさい以外の何でもない。それをわかっていない公職の方がどんなにいることか。しかも予約をしろと。
私が住む地域は人口がとても多い。紙に書かれたURLを叩いて予約をしようとしたら、四月まで空きがなかった。しかも平日の朝九時から夕方四時まで。おいおい。確か日本人の会社員の割合は90%近かったはず。個人事業主でもその時間はたいてい働いているよ。それで「仕事が忙しいは理由にならない」と言うのなら、半休をくれないと困るわ。実際、私も昼休みを使ったけど、昼休みは休みなので返してほしい。
自宅近くの施設は諦めて遠くの出張所で空きを見つけて、予約の入力をしたら打ち込んでいる間に他の人で埋まってしまった。さてどうしようか。四月は嫌だな、でも仕方がないかと再び近くの大きい受取場所の予約ページを見たら、翌週に空きが出ていた。ラッキーと速攻で予約完了。今度は他の人より早く完了ボタンを押すことができた。
予約をするとリマインドメールが届くのだけど、いらないでしょ、この機能。サクッとキャプチャして。
持っていく物
押印場所が見つからない
封書の中の案内に、このハガキ(受取なんとか書)と身分証明書と通知カードを持ってきてとあった。ハガキには事前に書いておくべき箇所がある。名前など。あと、ハズキルーペがほしくなる小さい文字を読んでいたら押印もするらしいのだけど、すべき場所が見つからない。持参することにした。わかりにくいくせに、わからなかった人をルールで作業拒否するのが役所の人だから。
それにしても、封書の中には何枚も使わない紙が入っていた。もったいないし、捨てるのが面倒だから入れなくていいのに。
受取場所で
受取場所に行くとズラッと長い列。えー、嫌だなーと最大四十分かかる可能性があると書かれていたことを思い出した。でも、間髪入れずに違う場所から職員に声をかけられる。
- 「マイナンバーの受け取りですか」「はい」でハガキを出す
- 職員が完成したカードの中から私のカードを見つけて、マスクを外して顔確認
- 番号札を渡されて待つように言われる
待つ場所に座って携帯で遊ぼうかと思ったところで、別の職員に呼ばれて個別の席に座った。
- カードの記載事項に間違いがないか確認
- 暗証番号を四個紙に書く(ここは職員が入力するタイプだった)
指定の場所にスラスラと暗証番号を書く姿に職員。
「暗証番号を覚えてるんですか?すごいですね?」
「暗証番号は紙に書いてはダメですから」
職員がなんで?という顔をしたのは忘れられない。この後、職員が暗証番号を登録に行く間は再び待たされる。そして、受け取って終わり。正しく入力してくれたかはわからない。ああいうの自動の読み取りにした方がよくないかな。マークシートの名前を書くところみたいなやつ。
受取にかかった時間は全部で十五分くらいだった。広いホールでガラガラだったし。最初に見た長蛇の列は職員の健康診断らしかった。大変だな。
マイナポイント
申請
マイナポイントも間に合うから申請する。私は一番使ってるPayPayで。これは簡単でPayPayに書かれたとおりに進めるだけ。ただし、下の写真の箇所は何度も確認した。
ここ。やり方のページには「マイナポイントアプリを開こうとしています」と書いてあるのね。ここのアイコンとテキストはきちんとうさぎのアイコンと「マイナポイントアプリ」にするべきだと思う。詐欺アプリへの誘導みたいだから。
開いたアプリも何のアプリだかわからない(泣)これが詐欺サイトで、マイナンバーカードをスキャンしてたら恐ろしい。ここの二つの流れは何度も行き来して、確認しようとしたけどしようがない。最終的には何かあったら全力で訴えることを誓って読み取った。
ポイント付与
できました!の文字が出たから、さっそく手動でチャージ。ちゃんと還元分が余分に乗っかってチャージされた。よかった。ということで、このまま二万円までチャージをして五千円もらう。
結論
- 使う人や申請する人のことを考える
- 誰でも理解できるようにする
- 先を見越した全体プランニング
- 後で実行できる拡張案のプランニング
- 告知と実施率を高めるプランニング
- 筋の通ったこと
- 効率良く物事を進める
- Q&Aの設定
- 紙に頼らない
- 自動化
書こうと思えばもっとたくさん書ける。とりあえず、こういうことが未だまったくできないことがよくわかった。マイナンバーカード取得の一連の作業を振り返ると、かなりの人員が割かれていたけれど、本当は他に方法がありそうだし、ペッパー君で代用できそうな作業ばかりと感じだ。
人を削ると困る人がいるからくだらない作業をあえてさせるという話も聞くけど、人はもっと有効に使った方がいい。別の用事で別の窓口に来るたびに、来た人が怒るのも無理ないなと思っていたから。だって流れ作業が如く人間を扱ってるから。
そもそも、行くこと自体がハードル高い役所なんていらないと思う。
阿川佐和子さんのチーズケーキとお名前の由来
『グレーテルのかまど』で阿川佐和子さんのチーズケーキの話があった。
洋館に住む知り合いの家で初めて見て、食べて感激したというエピソードを聞いて私は思った。そのチーズケーキはしろたえですね。長らく食べていないしろたえ、久しぶりに食べたいわ。
私もチーズケーキはレアチーズが好きだった。子供の頃は甘い物が好きではなく、食べられるデザートがコーヒーゼリーか柑橘類のゼリーかレアチーズケーキだけ。さっぱりしている物が好きだった。大人になるとベイクドチーズケーキなる物も知り、こちらも好きになった。特にがっつり食べたいお腹が空いている時。
そんな阿川さんの回を観ながら、ふと佐和子さんというお名前が気になった。お恥ずかしいことにエッセイストであることはそこまで知らず、テレビに出ている方という印象だった。だから当然お父さんのことも知らず。
阿川さんのお名前はなんと墓石から取られたのだそうだ。えっ?となった。墓石って。しかもそれはお兄さんが生まれた時からだそうで、病院に行く途中でお父さんが通った青山墓地で起こったのだそうだ。そこに「南尚之」という墓石があり、お兄さんが尚之さんに。阿川さんが生まれた時も同じ南家の「南佐和子」さんの墓石から阿川さんのお名前が取られたそうだ。すごい発想で偶然。
青山墓地で病院に行く途中に通る……だけあればヒントは十分。ファンの方が見に行っていて写真を確認することができた。そしてびっくりした。とてもとても立派なお墓。青山墓地は有名人のお墓たくさんある場所なのだけれど、それにしても大きくてきれい。そもそも同じ南さんなのに尚之さんと佐和子さんは別のお墓に入っていらっしゃる。このお家のしきたりなのかはわからないけれど、大きな家の方なのだろうと思った。
そしてあれ?と気づく。尚之さんは尚之さんじゃない。南尚さんだ。之の字は、通常のお墓に書かれた「○○家之墓」の之。阿川さんもお気づきのようだ。お父さんいいな。当時の心境が想像できる。
私の名前にこうしたエピソードはないので興味深かった。だからかな、番組で作っていたレアチーズケーキがとてもおいしそうに見えた。外出自粛もしてるから用のない赤坂には行っていない。行ける範囲のおいしいお店のチーズケーキを手に入れて、この話を思い出した。
大震災の日、私はHoly Fuckを聴いていた
東京は震度4だったから起き上がりはしなかったけど、久しぶりに長い地震でドキドキした。そして、十年前の震災の日を思い出した。
あの日、最初に大きく揺れた時、私はこの曲を聞いていた。
Holy Fuck(ホリー ファック)のLovely Allen(ラブリー アレン)。
あの日のことはいろんな意味でいろいろ忘れられない。
私はその日、有給で家にいて、ネットで何か書いてたか調べていた。当時住んでたのはリノーベションされたマンションの高層階。外も中もきれいだけど耐震性が低かったらしく、むちゃくちゃ揺れて人生で初めて死を感じた。
(これは死ぬかもね)
心の中で確かにそう思ったのを覚えておきたい。
それだけじゃない。その時は当時の彼も家にいた。おそらくどこかに出かける予定だった。彼は遅いお昼を作るのにキッチンでガチャガチャやっていて、そして揺れた。
私はこういう非日常時、意外と自分を差し置いて今すべき事に集中しがちな人だ。ベランダの植木鉢がガチャガチャ崩れ、家自体が聞いたこともない音をたてるのを聞きながら、ベランダ側の掃き出し窓、普通の窓、玄関を開ける、ガラス瓶に入った物を床に、割れそうな物は片付ける、などなど家中をバタバタとして安全確保に務めた。
キッチンも同じ。火を止め、鍋でパスタかなんかを茹でようとしてたのかグツグツ沸騰してたお湯をシンクに捨て、まな板に置きっぱなしの包丁もシンクに投げ込み、テーブルに出てたお皿やコーヒーが入ったマグもシンクに置いた。そして思った。
(彼、どこ行った)
体験したことがないレベルのやばい地震が起きている。たぶんまた来る。お風呂にお水は溜めてあっただろうか?こういう時はご飯炊きなさいと聞いた気がする。避難道具をまとめた方がいいか。そういえば親は大丈夫か。物が割れたらまずいから靴を履こうか。
手どころか心臓が震えて怖くて仕方がないのに、無理やり手と脚を動かしていたその時、なんとその男は我が家で一番頑丈そうで大きいテーブルの下に隠れてた。小学生の避難訓練で習ったそのままを実践していた。
(この男は彼氏だっただろうか)
急速に心が冷えていくのを、かなりハッキリと感じたのを覚えてる。自分だけが安全ならそれでいい人。いや、人間なんてたぶんそれでいいのだと思う。自分の身をしっかり守って、幼い頃に訓練した成果を出して。だけど私は思った。
(ないわ、この人)
好きだったし、不満も何もなかったから、あのままいたらあの人と結婚していたかもしれない。だけど今となっては、震災が起きた3月11日に毎年この人のことをこうして思い出さないとならないことが悔しい。
本性を知って目が覚めた私は彼なんかほったらかして、テレビでネットでどこで何が起こっているのかを調べた。ほとんどすべての日本人は大混乱でそれどころではなかったようで、最初に連絡をくれたのは海外にいる友達からだった。メールで安否確認と心配が綴られたメッセージがガンガン来ていた。心配してくれてありがとう。
そしてTwitterを開くと、Holy Fuckのアカウントが地震が起きた日本を案ずるメッセージが目に入った。今ちょうど聴いてたのとおかしなシンクロに感動して、うれしくてたまらなかった。例え社交辞令であっても全然構わない。
なすすべなく死ぬなと思ったあの感覚と、残念な人の本性を見た瞬間の気持ちを忘れずに、毎日を大切にしっかり生きていこうと思った。だからその後、驚くべき早さで避難訓練男とはさよならをし、新築で耐震性が高く低層のマンションに引っ越しをした。
37:ベルリンの思い出
ベルリンへの到着は終着駅ではなかった。
つまり、降りないと次の駅まで運ばれてしまうということ。よりしっかり駅の表示を見て、アナウンスがないか聞いて、車掌さんが歩いてきたら聞いておかないとならなかった。そうでないと、深夜の知らない街を彷徨うはめになる。
外は真っ暗、駅のホームですら日本とは違うムードのある暗い照明だ。こんな中を歩いたら転んだり、つまづいたり、ホームに落ちたりする人がいそうだけど、ヨーロッパの人はそういうことは自己責任なんだろう。あと、そんな人を見つけたら手を貸す。そんなことを考えている間に電車はガシャンとまたひとつの駅について、そしてそこが終着駅だと言われた。
えっ?なんで?
終着駅って素敵な言葉。東京にいると終着駅があまりない。かつての上野駅や東横線の渋谷、あとは井の頭線くらい?だから、あのハリーポッターみたいな、電車が行き止まりで止まって待っているホームに走っていく、みたいなことに憧れていた。ヨーロッパにはそれがたくさんある。でもこれは違うでしょ。正直焦った。
ZOO駅
ベルリンではZOO駅という場所に降り立つ予定だった。ツォー駅と読むらしい。意味は英語と同じで動物園。近くに動物園があるのだろう。練馬の豊島線駅みたいな感じ。
到着が夜になってしまったのは仕方がない。ホテルもこの近くに予約していて、到着がいつになるかわからないことはトレレボリの船から電話をしておいた。冬は暇らしく、ホテルの方もユルユル。
そんな感じで準備万端だったのに、着いたのは別の駅。別の大きな駅か?と思いきや、それも違うみたい。ドイツの大きな駅は中央駅と呼ばれていて、駅名にHBFが付くことは把握していた。私たちが着いた駅にはそれがなかった。
正直な話、この駅がどこだったか覚えていない。ツォー駅から見て北東の駅だったと思う。深夜0時を過ぎているのに駅には人が多く、なぜ集っているのかわからないイキった若者が闊歩していた。この時は自分も若者なのだけど、この辺の若者はガタイがいいし、尖った格好をしているから怖かった。
乗り換え案内もGoogle Mapもない時代だから、頼れるのは駅にいる人だけ。周りを見ると警察官もたくさん歩いていたから、その方々に聞いてみた。海外の警察官は威厳がある服なのが不思議。その方々に乗り換えを教えてもらい、無事ツォー駅に到着。ホテルは駅からすぐだったけど、雨が冷たくて萎えた。
庶民のパンことカイザーゼンメル
翌朝はちゃんと朝に起きて朝ごはんを食べた。パンとハムとチーズとヨーグルトとコーヒーのよくある感じの物。なのに「とてもおいしかった」とわざわざ日記に書いてある。ヨーロッパは乳製品が異様においしい。コーヒーもおいしい。元々ヨーロッパから日本に来た物だから当然なのか、プライドなのか。
あと「パンがめちゃくちゃおいしかった」とも書かれている。ホテルにあったのはコロンと丸いパン。その後、街ではカイザーロールを見つけた。何も乗っていないシンプルな小さなパンで、確か百円以下。なのにパリパリでおいしい。その辺のお店で適当に買ってもおいしいから、”庶民のパン”と呼んでよく買った。
本当はカイザーゼンメルというらしい。細かく言うと、オーストリアのパンらしい。カイザーとは皇帝のことだと思う。お手頃でどこでも手に入るから”庶民のパン”と呼んだけど、失礼だったかな。どうしてカイザーゼンメルと呼ばれるのだろう。あと、東京であの味のカイザーゼンメルを買えるお店はないのかな。
真っ黒焦げの教会
街を歩き始めてすぐ、異様な光景に気づいた。真っ黒く焦げた教会。ボロボロに崩れていて、塔の先端や角が跡形もなくなっている。ベルリンの街は簡素に整っていてきれいなのに、ここだけどうして。こんな痛々しい物を置いたままにしておいていいの?とかなりの衝撃を受けてしまった。
おおかた戦争の痕であることは想像できた。でも原爆ドームとは違って、こちらは真っ黒。煤で覆われたままでいる。時期は同じはずなのに、爆弾の種類が違うとこうなるのか?または原爆ドームはきれいに清掃をしているのか。これはわからなかった。
カイザーヴィルヘルム記念教会というらしい。ボロボロの教会に衝撃を受けすぎて、周りの新しい教会に青のステンドグラスがあってエレクトロな世界だとか、モダンな鐘楼がリップスティックと呼ばれていたといったことにまったく頭が回らなかった。
ベルリンの街は大きい。というか、庶民が自然に威厳を感じるような作りにしていると思う。大きな公園、行進に良さそうなまっすぐ長い道路、高い塔、大きな門。戦前の日本ももしかしたらこうだったのかもしれない。でも、私が知っている日本とは人間の統率の仕方が違うように感じた。
それにもかかわらず、まん丸のテレビ塔があったりするのがおもしろいのだけど。あとは都市計画の面で風の通り道を計算して作られたという話があった。TOEFLか何かの英語テストの長文読解で出た。S字に流れる川を使って、生活しやすいように土地を機能させる。すごいなと感心して、解答が一瞬遅れてしまったのが懐かしい。東京も見習ってほしかったポイントだ。
真っ黒焦げの大聖堂
カイザーヴィルヘルム記念教会よりも驚いたのはベルリン大聖堂だった。広い芝生の空間に、ドームを携えた巨大な聖堂。そして、これもまた煤汚れ。今ググるとそうでもないのだけど、私が見た物はもっと真っ黒で恐ろしい雰囲気を醸し出していたように記憶している。雨で湿っていたのか。ベルリンの空襲は日本のものよりひどかったのか。そのままにすることで戦争の記憶を留めさせようとしているのか、いろいろ考えた。
ただし、中は美しい。祈りのための座席がたくさんあり、ドームから入る光で明るく照らしていた。細かい石の細工と絵。外観と内部の差が激しくて戸惑った。どうやらホーエンツォレルン家の教会らしい。歴史に登場してきた君主の教会ならば、この豪華さや大きさを理解できる。確か地下には一族の棺が収められた部屋があって、入ることができた。ズラッと並ぶ棺に少しワクワクしてしまったのを覚えている。
ベルリンはそこまで北に位置しないのにやたらと寒かった。地面の違いかな。東京にいると感じないけど、足から冷えに侵食される感じ。回復にも時間がかかる。今はもっとデザインや音楽で楽しい街になっていると聞いているし、暖かい季節にでもまた行けたらと思っている。
113:白衣観音の思い出
- びゃくえ
- つるんと滑らか
- 参道
大きな観音像は日本にいくつもあるらしいのだけど、今日は“白衣観音 慈悲の御手”で知られる群馬県高崎市にある観音像のことを書く。
ちなみに白衣観音を「びゃくえ」と読むことは今知った。地元の方々は「観音様」と呼んでいて、びゃくいの読み方は上毛かるたで習う。丘の上に立っているから、市の中心部からよく見える。新幹線からも見える。高崎駅の西側の烏川沿いを走る国道十七号からは最高によく見える。初めて見た時は驚きなのだけど、そのうちすぐに普通になる。そんな生活の一部の観音様らしい。
丘の上のお寺の中になるので、車を止めたら参道をずんずん登らないとならない。その時々に観音様のお姿がチラリ。徐々に大きくなって、最後にはウワッと声が出るくらいの威厳。さすがに広い場所に立っていらっしゃる。背中には窓の穴がポツポツ。中に入ってみる。
この観音像は地元の実業家が立てたのらしいのだけど、つるんと滑らかそうな表面やきれいにそろった足の爪のような細部が美しくてよい。女性なのに男性的にも見えて、全部を見ているようで何も見えていないような、近くに来て見るといろいろ考えてしまうのが不思議だった。
それにしても、中に入りたくなる日本人って。
確か階段だったので、シニアの方は人生の修行のクライマックスかも。日々、街を見下ろしている観音様の目線を体験することができた。
そういえば、先日テレビで昔の高崎観音が映る映像を見た。昭和四十年代くらいの物。昭和十一年に建てられて戦争を経て、三十年くらいの時。なんと白衣が真っ黒だった。あれから日本もいろいろあって、きれいに保ってきたのだろう。この観音様はそんな風に変わりゆく街を見てきたのだなと思った。
お参りをした後は、参道を下りながらお店に目移りする。群馬に来たらこんにゃくを食べたい。冷たいラムネもよさそう。あと、石像の頭で布団を欲しているお店もあった。罰当たりにはならないのだろうか。個人的にはこういうのは好きだけど。
五月だったこともあって、立派な筍を売る店があった。なぜか母がたくさん買い、小さかった甥っ子が持ちたがった。筍は生をもらうと気分が上がるけど、茹で方がなかなか難しい。