113:白衣観音の思い出
- びゃくえ
- つるんと滑らか
- 参道
大きな観音像は日本にいくつもあるらしいのだけど、今日は“白衣観音 慈悲の御手”で知られる群馬県高崎市にある観音像のことを書く。
ちなみに白衣観音を「びゃくえ」と読むことは今知った。地元の方々は「観音様」と呼んでいて、びゃくいの読み方は上毛かるたで習う。丘の上に立っているから、市の中心部からよく見える。新幹線からも見える。高崎駅の西側の烏川沿いを走る国道十七号からは最高によく見える。初めて見た時は驚きなのだけど、そのうちすぐに普通になる。そんな生活の一部の観音様らしい。
丘の上のお寺の中になるので、車を止めたら参道をずんずん登らないとならない。その時々に観音様のお姿がチラリ。徐々に大きくなって、最後にはウワッと声が出るくらいの威厳。さすがに広い場所に立っていらっしゃる。背中には窓の穴がポツポツ。中に入ってみる。
この観音像は地元の実業家が立てたのらしいのだけど、つるんと滑らかそうな表面やきれいにそろった足の爪のような細部が美しくてよい。女性なのに男性的にも見えて、全部を見ているようで何も見えていないような、近くに来て見るといろいろ考えてしまうのが不思議だった。
それにしても、中に入りたくなる日本人って。
確か階段だったので、シニアの方は人生の修行のクライマックスかも。日々、街を見下ろしている観音様の目線を体験することができた。
そういえば、先日テレビで昔の高崎観音が映る映像を見た。昭和四十年代くらいの物。昭和十一年に建てられて戦争を経て、三十年くらいの時。なんと白衣が真っ黒だった。あれから日本もいろいろあって、きれいに保ってきたのだろう。この観音様はそんな風に変わりゆく街を見てきたのだなと思った。
お参りをした後は、参道を下りながらお店に目移りする。群馬に来たらこんにゃくを食べたい。冷たいラムネもよさそう。あと、石像の頭で布団を欲しているお店もあった。罰当たりにはならないのだろうか。個人的にはこういうのは好きだけど。
五月だったこともあって、立派な筍を売る店があった。なぜか母がたくさん買い、小さかった甥っ子が持ちたがった。筍は生をもらうと気分が上がるけど、茹で方がなかなか難しい。