純米@大吟醸

美しいと楽しい、旅と音楽と日々のこと。

BTSに先人がいることを知る人はきっと少ない

youtu.be

 

 世間一般的にBTSと言えば韓国のPOPミュージックのグループのことになるんだろう。防弾少年団という名前はどこにいったのかな。

 私にとってのBTSは二十年以上前からアメリカにいる。名前をビルトゥ トゥ スピルといってBuilt to Spillと書く。少女漫画に出てきそうな、ヒゲなし腕毛すね毛なしのツルツル男ではない。ツルッとしてはいるけど、それはフロントマンのダンの頭。ロックバンドなのに禿げている、しかもデビュー時から見た目はおじさん。ん?文法がおかしいか。

 私のBTSアメリカのアイダホ州ボイジーという、日本人にはまったく馴染みのない街から出たバンドだ。拠点はシアトルだったかな。こんなルックスのバンドは日本ではまず紹介されないし、人気は出ない。そんなバンドをなぜ日本に住む日本人の私が興味をもったのか。

 出会いは1998年だった。ベン フォールズ  ファイブ(Ben Folds Five)の未発表曲集『ネイキッド ベイビー フォトズ(Naked Baby Photos)』に収録されていたツイン フォールズ(Twin falls)という曲を聴いてなんだこりゃと思った。ベン フォールズの曲っぽくない、だけど心をジワっと浸していくような歌。ライナーで確かめると、Built to Spillをカバーしていることがわかった。そのライナーがひどかった。

アメリカ西海岸、シアトルをベースに活動する宅録系カルト・ギター・バンド、ビルトトゥスピルのカバー

 あ、うん。カルト的な人気なのはわかる。宅録……かなぁ。時代が宅録万歳!だったし仕方ないか。こんな感じのあっているようであっていないような。今より比較的まっとうであった私は、どんな変態系のバンドなのかとワクワクしたと思う。

 当時はSpotifyYouTubeもない。音楽を聴きたければラジオを聴くか、タワレコHMVに走らないとならなかった。でもTwin fallsが入っているアルバム『There's nothing wrong with love(ゼア イズ ノッシング ロング ウィズ ラブ)』が東京のCD屋で見つからない。当時は渋谷系が全盛期だったし、大都会東京でも仕方がなかった。

 偶然にも、この夏にはニューヨークに行った。ついでだからCDを探す。この時はまだまだアメリカ人もCDを聴いていたから、マンハッタンにお店は何軒もあった。いくつか巡る間に、ワールド トレード センターの中にあったBoarders(ボーダーズ)というお店で発見したのを覚えてる。このお店も十年くらい前に破綻して、確かBarns and Noble(バーンズ アンド ノーブル)が引き継いでいたはず。

 そんなこんなで手に入れたアルバムは何回も聴いた。バンドの見た目とは決して結びつかない美しい声とメロディ、曲の始まり方と終わり方、乱れ方、いいな。一曲目のIn the morning(イン ザ モーニング)を朝聴くと、爽快な気分になれた。

 宅録と言われているわりには家を出て、ライブを精力的に行っているようで、ツアーの日程がたくさん出ている。いつかライブを観てみたい。そう思っても日本に来るようなバンドではない。悶々とするまま、時には忘れそうになって、何年もの月日が経った。

 そんな、私に最大のチャンスが訪れる。

 2005年9月、テキサス州オースティン。Austin City Limits Music Festival(オースティン シティ リミッツ ミュージック フェスティバル)に行く機会があった。ラインナップにはBTSがいて、二番目に大きなステージに登場するらしい。すごいチャンスだ。見逃す訳にはいかない。

 にも関わらず、突発した事情により「遠くからモニターを見ながら音だけを聴く」という中途半端な体験になってしまったのです。今思うとありえない。なんてバカだったんだと自分を責める。でも生で聴くBTSは音が分厚く、ダグのボーカルが爽やかに風に乗ってきたことは確認できた。会場もちゃんと盛り上がっていたし、観客の中にはギャルがいる。ハゲがフロントマンのバンドにキャミソールのギャル。ロックバンドについて見た目だけを重視しない、アメリカの聴衆は好き。

 もともとおじさんだった彼らのこと。私がおばさんになった今はもうおじいさんに片足を突っ込んでいるはず。波平さんより年上のはず。新譜やライブの頻度も下がるだろうし、早く観に行かないと観られなくなってしまう。コロナが終わったらすぐにでも行かないと。

 おおざっぱすぎるけど、これが私のBTSとの出会いと進捗。音楽や雰囲気はインディそのものなんだけど、長い間ずっとワーナーのアーティストだった。アルバムを出すよとお知らせがあるたびに、バンドメンバーが減ったり増えたりしてるのを笑ってる。ダグが固定で、それ以外は気の合う仲間とやってるのかな。

 今時、音楽をジャンル分けする人はいないだろうけど、彼らは一応オルタナティブロックの人。オルタナ自体がなんだろう?って人の方が多いかな。

36:シュトラールズントの思い出

  • 読み方をまた間違える
  • 下車する人々
  • 石畳の町

 スウェーデンから海を渡ってこの町の駅に停車した時、夕暮れだったと思う。まったく知らない町。どこかで港に着いて船は陸に上がり、鉄道で大きな駅に着く。今地図を見ると入江深くにある町で、水路のような物があるみたい。お堀なのかな。

 そして、なんと町名の読み方がシュトラールズントだった。つづりはStralsund。ドイツ語のsundは苦手。Sはなんとなくシュだとわかっていたから、数十年間”シュトラルサンド”だと思ってた。

 その前に、実は私たちはこの町に着くこと自体も考えていなかった。ベルリンに行きたいと行ってこのルートをオススメされたのだけど、なんとなく西側の有名な町であるハンブルグを通って東に行くのだろうと思ってた。だからビックリ。当然降りてもいない。

 それでも、ここは忘れられない町になった。二日間に渡って珍道中を共にしたドイツ人が降りていったからだ。仲良し兄弟妹だった。ヨーロッパに住んでいると、国境を越えて親戚や友達の家を訪ねたりするのかなと想像した。

 シュトラールズントのことも調べてみた。十三、十四世紀の古い建物がある歴史深い町っぽい。街中は当然石畳。風情があって見た目には麗しいこのサーフェスだけど、ヨーロッパ中を歩いて石畳が脚に来ることを身をもって知った。二十歳そこそこであの疲れっぷりなのだから、シニアになって行くと大変。なるべく若いうちにタフに歩き回っておいた方がいい。車や自転車のタイヤの磨耗もひどそうなくらいだから。

 それと風光明媚な湖の写真があった。栗林公園というか松島というかそんな感じにポツポツ浮島があるタイプの湖。これは郊外なのか、町のそばにあるのか。日本には少ないタイプの光景には惹かれてしまう。

 地図を見ると、陸に上がってからベルリンまではかなりの距離がある。天候による遅れのせいで、ベルリンに着くのは夜中予定になっていた。そして、ここでもまたオーマイガを経験することになる。この後のヨーロッパ旅全部を振り返るとたいしたことないのだけど、時間厳守はもちろん停車位置すら狂いがない日本育ちの私には仰天なことが起きた。

 だけど、人間はすぐに慣れるもの。そんな自分に成長を感じていた。

  今日の旅の場所は、Google Map 大吟醸トラベルの36番。

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109:トレレボリの思い出

  • 目覚めてそこは
  • 電車ごとフェリーに乗る
  • 甲板にぶち当たる波

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 初めての寝台車でも私は平気で爆睡し、快適な眠りから目を覚ました。だけどおかしい。電車は停止しているようで、車内もシーンとしている。みんな、まだ寝てるのか。

「どこだろう?なんだか車庫みたいなところにいる」

 これが窓の外を見て最初に思ったこと。

 お腹空いていたし、トイレに行きたいし、お風呂にも入りたい。電車を降りていいのか、というか今どこなのといろいろドキドキする。電車に友達を残し、出発する時は待ってもらうようにお願いして、私は外に出た。近くに扉が見えたから探ってみようと思ったのだ。

 薄暗い車庫風の場所を歩いていると、同じことを考えたらしい女の子に会った。欧米系の顔立ちをしているこの人でも状況はわからないらしく、一緒に探検してみることにした。ドアを開けて階段を登ってみる。その時、私たちの気分はもう、スパイ映画の主人公。ミッション インポッシブルのテーマ曲が頭の中で鳴り始める。

 階段を登り終わると地図があった。私でもわかる、明らかな船室のレイアウト。辺りを見回すといかにも船っぽい丸い窓もあった。その時、上の階から賑やかな音といい匂いを察知。こうなったらとことん行こうと、私たちは上を目指した。

 そこで目にしたものは、

「あら、お目覚め?シャワーでも浴びて、食事してて。今日もいつ出発できるかわからないの」

 例の英語を話せる車掌さんがいた。とっくに起きていて、優雅に朝ご飯をお召し上がり中のご様子。そう、そこは船の中のレストランやラウンジなどがあるフロアだった

 えっ?どういうこと?

 なんで船に乗ってるの?

 そのソーセージおいしそうなんだけど。

 もしかしたら、寝ている間に案内があったのかもしれない。いや、ないよな。向こうの人にとっては普通のことなのかな。何もわかっていないけど、ひとまず友達のところに戻ることにした。

 マルメの次の記憶の地。目が覚めた自分がいたのは、スウェーデンの南端(という言い方でいいのかな)トレレボリという港だった。

 今、同じ事態に遭遇したら即Google Mapを開く。ここまでの短い電車旅で、海外には日本のような鮮明な声での駅名アナウンスがないことを理解していた。だから、いつでもどこでもたいてい現在地がわからない。たまに小さくある駅名のプレートのつづりを覚えるか、車掌さんがいる時に聞いてみるか。今回は後者で現在地を特定できた。

 改めて時刻表を見ると、私が今いる区間には五ミリ四方くらいの小さい船のマークが付いていた。これが「フェリーに乗る」の意味らしい。民間人の車を乗せて運ぶフェリーの存在は知っていたけど、電車をまるごと乗せるとは思わなかった。だって海外の電車は車両数が多くて長いから。

 みどりの窓口のおじさんが言う「電車で行ける」は、「途中の海は電車ごとフェリーに乗せて渡る」も含まれることを知った。現状を想像できずに恐る恐るドアを開けた、あんなドキドキスパイごっこもしなくて済んだな。ただ、今はGoogle Mapを見たらもうこの付近には橋がかかっている。電車も通ってるみたいから、この区間の船旅はもうなくなっているかもしれない。

 私たちは車掌さんに言われたとおりシャワールームですっきりして、レストランで朝ごはんを食べた。すごくボリューミーで肉肉しいプレート。おなかがいっぱいになった後は船内でひたすら暇を潰す。出発する時はまた放送で案内してくれるらしい。

 そこで甲板を見に行った。

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 なかなか広い甲板だけど、柵にはザッパンザッパン波が打ちつけていた。そこでヘルシングボリで言われた“シケ”を思い出す。うん、わかった。これでは海を渡れない。

 船内には両替所があるし、免税店もレストランもいくつか。バー、ビリヤードの部屋、だらしない体勢で映画を観られる部屋なんかも充実してて、何も困らなかった。そんな中で上映していた映画は『マトリックス』と『タイタニック』。後者はやめてと思ったな。

 目の前の海が何海かも知らなかったけど、本当に海しかない。天候が落ち着いた後はたいした揺れもなく、ウトウトしている間に海を渡りきっていた。

 今日の旅の場所は、Google Map 大吟醸トラベルの109番。

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eF-1G受検。猶予一日だった社会人の対策

 突然、eF-1Gという名の適正検査を受けることになった。残念だけど存じておらず。エージェントもマイナーだと言っていた。

 その前に私はここ二十年、適性検査を受けていない。前回は新卒の時。以降ずっと外資で働いてきたので、その後の転職でも一度も受けたことがなかった。

 受検の期限は明日中。予習をした方がいいとリンクがひとつ送られてきた。

 開いてみると、なるほどね。ひととおり見ておいた方が良さそう。最近データサイエンスの勉強をしているので、ぶっちゃけ普通のSPIの方が楽だったかも。仕事もあるしでそこまで時間をかけられないので、サクッと期限前に済ませておいた。

参考にしたサイト

 この方はたぶん新卒で受検。

naru-toku.hatenablog.com

 

 もうひとり、この方はたぶん転職。急遽は新卒にはないでしょう。

note.com

 このふたつを読んで以下の特徴がつかめた。

  • 見たことがない問題が多い
  • 解答時間が短い。スピードを要する

 勝手にリンクを貼らせていただいたけど、本当に助かった。私が書くのは彼らの投稿を熟読して、対策問題を解いて、受検を終えたうえでの補足になる。

テスト内容

 言語、非言語と言われているけど、そんなの関係ない。ごちゃ混ぜで唐突に出題されることにも笑った。

 

非言語系

  • 記号の数え上げ
  • 四則計算
  • 数字と図形の対応表
  • 積み木や煙突の並びの見え方
  • 地図
  • 企画振興力
  • 記憶力を見る問題

言語系

  • 語句の用法
  • 四文字熟語
  • 漢字の読み
  • 長文読解
  • 発想力

 

覚えている限りの内容と対策

記号の数え上げ

問題:□×+△▽といったいくつかの記号で構成された塊を見て、指定された記号の数を五択(たぶん)から選択する。全五問くらい。

ポイント:私はこれが最後だったので、もう終わると気合いを入れて数えた(笑)。段ごとに数えて最初から数え直さないみたいな効率の良い方法をとる人もいるようだけど、私はひたすら最初の段を左から右、その下の段を左から右と指でなぞって声に出しながら数えた。パソコンの画面に指紋がついた。家に誰もいなかったので問題なし。

 普通の速さで時間は足りるから、焦らないで確実に点数を取りたい。

四則計算

<タイプ1>単純な計算

問題:足し算、引き算、掛け算、割り算、整数、小数、分数の計算を解き、解答を四つから選択する。

ポイント:分数の計算とかを忘れてたことに気づく。だから、この方のサイト(2章.四則逆算(一次方程式)~SPI,WEBテスト非言語(数学)~)で単純計算をおさらいさせてもらった。恥ずかしい。動画で解く順番を見せてくれるのもわかりやすい。だけど、公文やそろばんをやっていなかったせいか、そこでどうしてそうなるの?という箇所もあった。今度教えて。

 一旦小学生の算数を思い出せば、後は素早く解くだけ。桁数も少なく電卓はいらなかった。子供の頃に公文やっておけばよかった。

<タイプ2>マス計算

問題:縦にイロハ、横にABCで、カタカナ英字ごとに数字が振られたマス目がある。例えばイには13、Aには7。問題はイ+A=?、Cーロ=?。計算の答えを選択肢から選ぶ。

ポイント:それぞれがマス目上でクロスする場所を探しそうになるけど必要ない。イロハABCとそれぞれの数字だけ見て計算。計算は二桁だからケアレスミスをしたくない。

数字と図形の対応表

問題:上に数字が123...順番に、その下に数字を表す図形が象形文字のように並んでいる。問には例えば「21」と書かれているので、その数字になる図形の組み合わせを選択する。

ポイント:最初に各図形が数字のいくつを表すのかを洗い出すこと。図形はだいたい四個。そのあとで一気に五問ほど解く。時間は余る。

積み木

問題:左に正方形のブロックが積まれたイラスト、右に左絵を左右どこからか見た平面図が四つ。平面図四つから、どの角度からも見えない平面図を選択する。

ポイント:対策問題で解いたのはほとんど最大3x3x3の積み木だったのに、本番はx5でビックリした(笑)

 先に平面図を意識して消去法がいい。空白になるマス目を一段ずつ確認して、ありえない物を探し出す。意味ないのに、顔を覗きたい方向に動かしてしまうのが謎。 

煙突

問題:(左)煙突を上から見たイラストに「ここから見るぜ」マーク、(右)「見るぜ」ポイントから見た横からの煙突の風景が四つ。四つの中から、「見るぜポイント」から見える煙突の風景を選択する。

ポイント:対策サイトに書かれているとおり、煙突の数、隙間(とその広さ)が大事。あとは煙突の重なり具合も大事。本番は参考サイトの問題よりも難しくて、考えている間に時間切れしてしまった。あーあ。

地図

問題:たくさんの商店が立ち並ぶ地図が書かれている。設問ごとに、地図の中の店が起点に指定され、「あっちへ歩け」「二つ目の角を右に曲がれ」といった指示に従い、その先に言われたとおりの店があるか、ある or なしを選択する。六問くらい。

ポイント:こんな商店街ないわと突っ込みたくなる密な地図に笑う。吉原かと思った。地図が大きすぎて、問題を読むと地図が画面から見切れてしまうのがつらい。時間が足りないので、サクサク思い切って進めるべき。

企画振興力

問題:実はどれだったか確信がもてない問題。だけど、たぶん最も異色だった「パーティ企画」のことだと思う。五行くらいの問題文、すべきことのリスト、その下に八個のプルダウンボックス。

 問題文には、パーティでコンサートを催すことになったのだが、誰もしないからギリギリになって自分にブン投げられた。とりあえず形にしないとならない。するべきことをプルダウンから選択しろと書いてあった。ざっくり。

ポイント:問題文が会社員生活あるあるで吹いた。確か会社の記念パーティなのにひどいし、こんな会社は嫌だ。ブン投げられた人も「しょうがないからやってやる」感が文章ににじみ出てた。

 パーティでコンサートをするために必要な項目を重要な順に選んだ。「会場をおさえる」「演者を探す」「内容を決める」。時間がないブン投げ案件なのにPTAバザーでもやろうとしてるのかという朗らかなムードに驚く。代理店でも断りたい。

記憶力を見る問題

問題:練習問題がなくて焦った箇所。パソコン画面の縦いっぱい、二十行くらいのOLの休日行動記録みたいな文章が出る。ボタンも問いも何もなし。小さい序文をよく読んだら、まずは一分読めと書かれていた。一分後に文章が消え、問いが五問ほど出される。正しい答えを選択する。

ポイント:途中で「これが記憶力の問題か!」と気づいた。怪しそうなポイント(時間、場所、人の特徴、服、食べ物、飲み物)を記憶して、画面に設問が表示されたら、一気に選択した。登場人物のコーディネートが上赤、下青、靴黄色とコントのようなことに笑った。怪しそうとヤマかけしたところしか問われないから楽。

語句の用法

問題:正しい敬語を選ぶ、同じ意味で使われてる受動態を選ぶ、こんな感じの問題が立て続けに出される雑多な問題群。

ポイント:問題の意味がわかりにくいところがあったので、そういう時は華麗に次へ進んで気にしない。敬語はこの問題を作ったおじさんおばさんも間違えてると思う。

四文字熟語

問題:穴あきの四文字熟語が表示され、ふさわしい漢字一文字を選択する問題。

ポイント:四文字熟語は社会では使わないことを痛感した。私も学生時代はずっと国語パーフェクトだったけど結構忘れてる。必要ないことは忘れる、それでいい。ケアレスミスはしないように、わからないところはそれっぽいのを選んで終了。

漢字の読み

問題:表示される熟語の正しい読みを選択する。

ポイント:四文字熟語と比べて、難読漢字は問題なく読めた。手で書けだったらまずい。高校受験によく出てきたような間違えやすい漢字を思い出しておくといいかも。

長文読解

問題:現代文や英語のテストで出てくるような長文は見当たらなかったけど、これはもしやアレのことかな。 十行以下、頭に英字を振られた四、五文程度の短文を読んで、穴あきを埋める(接続詞)、短文を正しい順序に並べ換える、設問が内容どおりか正誤を選ぶ、タイトルをつけるとしたらふさわしい順番を選ぶ。

ポイント:対策で解いた問題は文化的で美しい内容で、問題なく解けた。本番では、問題の内容が宗教くさくて気持ちが悪くなって集中がそれた。まさかと思ったけどこんなこともある。そのせいで、中高大学の入試問題を作る人は天才だと改めて思った。魅力のある文章を選ぶ。そういえば昔はよくテストに出た文章の続きが気になって、本を探して読んだ。入試問題をやりたい。

発想力

代わるもの

問題:「サングラスに代わるものをあげなさい」という問題文、その下に三十個くらいの解答欄。ひたすら解答を入力する。

ポイント: 対策でやっていたサングラスがそのまま出たので余裕だった。二十個で止めておいた。ふざけてる?こじつけと思われても構わないから、思ったことをひたすら入力すること。頭を使えば何でもどうにか代用できる。たぶん正解はない。

マジカルバナナ

問題:連想ゲーム。最初と最後の単語が書かれていて、間に空欄がふたつ。宇宙ー( )ー( )ー朝。( )に連想される単語を入力する。ひとつ終えると、最後の単語だけが変った問題(例:朝が未来に変更)が次々と出てくる。

ポイント:『マジカルバナナ』と言えばこの問題形式と多くが認識していることに驚いた。これも正解はない。いかにこじつけられるか、思いつくか。適当に入れた。頭から考えて思いつかない時は、おしりから。両方試すとなんとかなる。

 ここは、eF-1Gの最たる特徴と考えられる発想力コーナー。内容を知った時、これを採用する会社は何をしたいんだろうと思った。両方共、もぐら叩きが如く穴を埋めることに集中した。

 

目次のどれに当てはまるのかが不明だけど、出題された問題がいくつか。

図形の中に三角形

問題:台形か平行四辺形の中に線がいくつも引かれた図形が描かれている。図形の中にある正三角形、二等辺三角形、平行四辺形、台形、特定の三角形に似た三角形、すべての三角形の数を数えて入力する。

ポイント:予習をしている時に問題のバリエーションが三つしか得られなかったので、それを暗記した。そのうちの一つがそのまま出たので終了。でも、この問題は解答時間がたっぷりあったから、焦る必要はないかも。大きい三角から探す、必ず対を探す、変形した物は後で、が間違えにくいと思う。

条件

問題:「イギリスに行ったことある人は全員ハワイに行ったことがある」のやつ。ふたつの短文を読んで、四つの設問が確実にある、確実ではない、確実にないを選択する。

ポイント:現実社会では「わかるように説明しなさい」と怒られるだけのこの問題。役に立たないくせにややこしい。受検前に最後に見直したのが同じ問題だったので、たぶんできた。ラッキー。 

受検して感じたこと

驚いた

  • 受検の代行請負がビジネスとして存在することに何よりビックリ
  • eF-1G受検の情報は本当に少ない
  • 性格検査が先だと思っていなかった
  • テストの比重からも、たぶん性格検査がメイン
  • 数字系の方が楽だった

難しい

  • パスはできるが、戻って直したり解いたりできない
  • タイピングが遅い人はつらそう。社会人は余裕。打ち込むのが速すぎて次へボタンが間に合わないくらい
  • 難しい、人生の役に立たないと思ったことは丸暗記しておいた方が楽そう(三角の数、条件)
  • 画面の文字が思うより小さい。私のPCはMacBookだけど、マス計算の箇所では目をこすった

机に用意しておく物

  • パソコン
  • マウス
  • 計算用紙(暗算できない)
  • ペンや鉛筆
  • 電卓を念のため(テンキーがある人は画面上でした方が速いかも)

受かるか、落ちるか

 新卒は忘れたけど、転職で適正検査で落ちたら縁がなかっただけだと思う。結果は気にしないけど、試験を受けたくなってきた。

35:マルメの思い出

  • いつ到着するかわからない
  • ビールの差し入れ
  • マルメとマルモ

 前回出発したヘリシングボリはHelsingborgと書く。表記はあってるのかわからない。さらに、私はこの後の時間軸をよく覚えていない。こういうことを細かく書いておけばよかった。どうせ時間はたっぷりあったのだから。

 定刻よりだいぶ遅れて出発に至る。一緒に同じ電車に向かったお客の数は少ないと感じた。車両数は多いのだけど、その少ない乗客はいくつかのまとまった車両に割り振られた気がする。夜発だったのもあるのかな。日本の高崎線みたいな部屋になっていないタイプだった。車掌さんは二人いて、ドイツ語とスウェーデン語が必須らしい。片方の人のみが英語が話せたので、私はその方から情報得た。長時間の乗車ではないから大丈夫でしょう。

 だけど、そうは問屋が卸さない。車掌さんは二人で挨拶に来てくれて、朗らかな笑顔で言った。

「はっきり言って、いつ到着するかわからないの。でも皆で楽しみましょうね!」

 こういうの好き。さらに乗り合わせた人たちも

「オッケー!じゃあ私がキャプテンよ!」
「イエーイ」

 みたいに盛り上げあっていた。おばさまとおじさまと私たちみたいな若者。こういうことは日本人同士だとなかなか起こらないと当時の私は思った。その後、再び車掌さんが来た時はさらにビックリ。手にビールと食べ物、お菓子を持っていて皆に配ってくれたのだ。

「差し入れよ。飲んでね!」

 先が長くなるからとのことだった。乗客はおそらくそこまでの食料なんて持っていない。これがルールなのかもしれないけど、すごく楽しかったしうれしかった。

 しかし、瓶ビールを開けるための栓抜きがない。電車の窓枠の角で映画みたいにかっこよく開けようとしたけどできなかった(たぶん、やっちゃダメ)残念に思っていたら、近くに座っていた男子大学生が来てフタをキュッとひねって開けてくれた。日本人は“瓶ビールには栓抜き”のイメージにとらわれ過ぎた。そんな旅。

 列車はさらに進んで、プラットフォームしかないような田舎の駅に停車した。マルメ付近だったと思う。マルメは九十年代の洋楽を聞いていた人は絶対に知っている地名で、ザ カーディガンズというポップバンドの女性ボーカルとそのプロデューサーであるトーレ ヨハンソンさんの出身地なのだ。生涯行くことがないと思っていた主要都市でもなんでもない街(失礼)を見られて気分が上がった。

 この地名のことも、当時は勝手に“マルモ”と呼んでいたな。だって点々が付いただけでeになるなんて知らない。北欧の言葉を勉強するのも素敵かもと今でもずっと思っている。

 そうそう、その駅で普通車両に乗っていた全員が寝台付きのコンパートメント車両に移動するように指示をされた。枕もお布団もあるお部屋タイプの客室。まともに乗ったら相部屋になったりするのだろうけど、この時は他に乗客がいなかったから、のんびりダラダラ過ごしてしまった。

 マルメ付近から夕暮れだった気がする。時間が変と言ったのはこのせい。広い大地にあまり何もなくて、空と土と枯れた葉っぱの殺風景な景色が続くなかで「これがマルモなのか」と思っていた。時間を覚えていないなんてなんでだろう。止まっては動き、止まっては動きのノロノロ運転。その繰り返しでは困る日程の方もいるようで、外が暗くなった頃には下車を決める人たちに遭遇した。

 耳に入ってくる日本語の会話。ここまで日本人にまったく会わなかったからうれしかったのだけど、あまり気さくな方々ではないようで世間話をすることもなく別れた気がする。年がだいぶ上だったからだろうか。日本人にもいろいろな人がいると海外に来て思った

 思ってもみなかった長旅になり、のんびりが過ぎると眠くなった。友達は神経質気味で寝るのに苦労していたけど、私はどこでも眠れた。完全な夜になった後は途中、暗い窓の外が風でゴーゴーという音を出し始めたり、列車が止まっていたりするのを感じていた。でも私はグッスリ爆睡。旅に必携の耳栓なんてまったく不要だった。

 そして目覚めて、ミッション インポッシブルのテーマが流れ始めた。

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今日の場所は、Google My Map 大吟醸トラベル の35番。

112:ヘルシングボリの思い出

 ヨーロッパを電車で旅をした気でいたけど、列車が正しいのかもしれない。電気で動いていることは間違っていないのだろうけど、海外のそれは列車の方が似合う気がする。不思議。

 スウェーデンヘルシングボリ(Helsingborg)という街に行った。行く気はなかったのだけど、ベルリンに行きたいと行ったら寄ることになった。私の旅なんてそんなもの。

 当時は乗換案内アプリがない。トーマスクックという会社が出版しているヨーロピアン レイル タイムテーブルという昔のタウンページの小さい版みたいな赤い時刻表を持って、乗り鉄よろしく自分でルートを決めて旅する必要があった。途中で出会う同年代の旅人や駅のみどりの窓口のような所に行って、オススメの行き方を聞くのも楽しかった。ヨーロッパには学生の旅人、主にバックパッカーがたくさんいたから聞かれる方が見知らぬ人と話すのに慣れていたし、楽しみにしている印象もあった。

 このヘルシングボリ行きは、コペンハーゲン駅のみどりの窓口のおじさまが教えてくれた。

「フェリーに乗ってヘルシングボリへ行って、そこから列車でベルリンまで行くのが楽しいんじゃない?フェリー代もパスの対象だよ」

 と。私たちはその案で行くことにして、コペンハーゲンの港へ向かった。その国の色々な乗り物に乗ってみたいタチだから。

 でも、あの時は焦った。市内で遊んでいたら出発時間が迫っていて、街はすでに夜。時間がないからタクシーで急いでもらった。確か最後の便だったはず。港はそんなに大きくなく、タクシーで乗り付けて、すぐに乗船できる感じだった。だからなのか運転手さんが全然焦ってない。日本人は焦りがちなのかも。

 たぶんだけど、対岸のスウェーデンに住んでいる方々の帰宅時間なんだと思う。フェリーは満員だった。仕事や学校はデンマークでという方が結構いるのかな。島国育ちからすると不思議な感じがする。フェリーは内海だし揺れることもなく、ゆったりと小一時間を進んだ。私は乗り物に乗ると一瞬で寝る人だから、何度もウトウトとする。

 ある時ハッとして外を見ると、キラキラと光る街が迫ってきていた。これがまた美しい。今度は水たまりではなく海に街の灯が写って、本来の何倍も明るく見えていた。水、特に海が近くにある街は素敵に見える。

 ヘルシングボリの街に着いて、まっすぐみどりの窓口へ行った。電車に乗るお金はかからないけど、乗車の予約は必要だったから。窓口にいたおばさまが陽気に教えてくれた。

「この電車はシケでいつ出発するかわからないわよ」
「OKです」
「出発する時は呼ぶから駅構内にいてね」

 日本の駅も便利だけど、ヨーロッパの駅はカフェやレストランやバーやコンビニ、あとシャワールームなんかもあって別の意味でなかなか便利。急いでない私たちは定刻どおりに出発しなくても到着しなくても構わない。でも電車なのに「なんでシケ?」という疑問はスルーしておいた。来る予定がなかったスウェーデンにてワクワクしていたし、土地も広そうな国のこと。風を遮る物がない大地を走るのに強風がダメなんじゃないかなとか、常磐線を思い浮かべてた。まぁ、ここで「なんでシケ?」と質問しなかったことによって、後のミッション インポッシブル体験を書くことができるのだけど。

 次に向かったのは両替所だった。現金がないので、少しスウェーデンのお金に変えようと思ったのだ。デンマークで残ったお金、特に硬貨が既に邪魔だったけど、硬貨を両替してくれないことは学んでいたから言わなかった。なのに、両替所にいた女の子。閑散期で暇だったのかな。同年代っぽくて話しやすかったな。

「えっ、いいよ〜。小銭も全部変えちゃう。出して出して〜♪」

 本当にこんなテンションだった。これがルールなのか彼女の機転なのかわからないけど、こういうフレキシブルな人はいいなと思う。ヨーロッパ大陸の人は頑固そうだと感じていたから驚いた。ここでもまた勝手な思い込みをひとつ打ち消すことができた。大事なのは個人。彼女のおかげで、私たちは残っていたお金をきれいさっぱり片付けることができた。

 そうそう。ひとつ不思議に思ったのは、夜の両替所にいた店員さんが女性だけだったこと。たまたまのシフトかもだし、監視カメラ越しに見守られているのかもしれない。当時は、スウェーデンは危なくないのかなと考えていた。

 それを体験しに街に出てみたかったけど、今日の私たちには不可能。「携帯で呼び出して」とできたらよかったな。とは言え、私たちは駅内でご飯を食べてお酒を飲んでお菓子も食べてと安全に夜を過ごし、いよいよ出発する時間がやってきた。

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今日の場所は、Google My Map 大吟醸トラベル の112番。

あの、まずいカレーコロッケをもう一度

 写真はじゃがいもコロッケ。近所の揚げ物屋さん、ではなくお豆腐屋さんで買った。厚揚げを作る油があるから、ついでに揚げてるのかな。

 食べながら思い出した。私には大好きなコロッケがあって、それをもう二度と食べられないことを。

 それは祖母の家の近くのお肉屋さんのコロッケだった。昔ながらのお肉屋さんで、カウンター越しに買いたい数を言うとおじさんが揚げてくれて、熱々の袋を抱えて帰る感じ。祖母は私たち孫が来ると美味しい物をたくさん作ってくれたのだけど、その食卓に最後に添えるべく「そうそうコロッケも買ってきなさい」と私たちにお手伝いを頼んだ。

 コロッケは普通のタイプより細長いワラジ型で固い。衣が特別厚かった記憶はないが、サクサクよりハイレベルな歯ごたえがしっかりあった。そして、なんとカレー味。他にじゃがいもコロッケや牛肉コロッケがある訳ではなくて、デフォルトがカレー味。気軽にかじれるのが魅力のコロッケなのに、カレー味にしたらそれだけで買うお客が減るのにいいのかな。子供ながらにそんなことを思ってた。

 カレーの味は大人のカレーで、ちゃんとしっかり辛めだった。主張が強い固めの衣と合間って、スルメのような噛めば噛むほど味が出る珍品だった。それで確かたったの60円くらい。私が買いに行く時はたくさん揚げてもらったから、おじさん大変だったろうな。

 そんなこんなで祖母の家に行くたびに食べていたカレーコロッケだけど、ある時突然食べられなくなってしまった。突然だったのは、私が実家を離れてしまったから。年に2度しか帰らなくなり、気づいたらおじさんはお肉屋さんを店閉まいしていたのだ。

 お店が他の店になったり、更地になって思い出す術がなくなっていたらマシだったのかもしれないけど、おじさんの家は今でもそのままの佇まいで1階のお店部分を閉めたまま存在している。おじさん家族も住んでいる。だから、祖母の家に行けば今でも食べたいと思うし、この際作り方を教えてくれたらいいのにと思ってしまう。

 あのカレーコロッケが食べたい。

 でも、そういえば私は一度もおじさんに「美味しいです」とか「カレーコロッケ大好き」と言ったことがない。

 おじさんが言われてうれしかったかどうかはわからないけど、できなくなってから残念に思うくらいなら素直に伝えておくべきだと思った。

 その後、祖母の家から少し離れたところに旅行ガイドにも載るような有名なコロッケ屋さんができたのだけど、私は未だその店には行ってない。私にとってあの辺でコロッケといえば、おじさんが作るのっぺりとしていて固いカレーコロッケだからだ。