36:シュトラールズントの思い出
- 読み方をまた間違える
- 下車する人々
- 石畳の町
スウェーデンから海を渡ってこの町の駅に停車した時、夕暮れだったと思う。まったく知らない町。どこかで港に着いて船は陸に上がり、鉄道で大きな駅に着く。今地図を見ると入江深くにある町で、水路のような物があるみたい。お堀なのかな。
そして、なんと町名の読み方がシュトラールズントだった。つづりはStralsund。ドイツ語のsundは苦手。Sはなんとなくシュだとわかっていたから、数十年間”シュトラルサンド”だと思ってた。
その前に、実は私たちはこの町に着くこと自体も考えていなかった。ベルリンに行きたいと行ってこのルートをオススメされたのだけど、なんとなく西側の有名な町であるハンブルグを通って東に行くのだろうと思ってた。だからビックリ。当然降りてもいない。
それでも、ここは忘れられない町になった。二日間に渡って珍道中を共にしたドイツ人が降りていったからだ。仲良し兄弟妹だった。ヨーロッパに住んでいると、国境を越えて親戚や友達の家を訪ねたりするのかなと想像した。
シュトラールズントのことも調べてみた。十三、十四世紀の古い建物がある歴史深い町っぽい。街中は当然石畳。風情があって見た目には麗しいこのサーフェスだけど、ヨーロッパ中を歩いて石畳が脚に来ることを身をもって知った。二十歳そこそこであの疲れっぷりなのだから、シニアになって行くと大変。なるべく若いうちにタフに歩き回っておいた方がいい。車や自転車のタイヤの磨耗もひどそうなくらいだから。
それと風光明媚な湖の写真があった。栗林公園というか松島というかそんな感じにポツポツ浮島があるタイプの湖。これは郊外なのか、町のそばにあるのか。日本には少ないタイプの光景には惹かれてしまう。
地図を見ると、陸に上がってからベルリンまではかなりの距離がある。天候による遅れのせいで、ベルリンに着くのは夜中予定になっていた。そして、ここでもまたオーマイガを経験することになる。この後のヨーロッパ旅全部を振り返るとたいしたことないのだけど、時間厳守はもちろん停車位置すら狂いがない日本育ちの私には仰天なことが起きた。
だけど、人間はすぐに慣れるもの。そんな自分に成長を感じていた。