純米@大吟醸

美しいと楽しい、旅と音楽と日々のこと。

40:クレラー ミュラー美術館の思い出

 ここの絵も描きたい。そう思うくらいに日本にはなく、覚えていたい風景だ。

 翌日、私たちは電車に乗ってアムステルダム近郊の街、アーンヘムに来た。朝に都市間を移動すると新聞とコーヒーを手にするお勤めの方を多く見たのだけど、この路線はずっと朗らかだった。でも観光客もいない。

いきなりド田舎

 アーンヘムの駅から美術館まではそこそこ距離があった。ガイドブックに行き方が乗っていたかもわからない。だって駅に降りただけで、ゴッホ美術館のように誰もが行く場所でないことは明らか。人がいないからタクシーもない。私たちはバスで行けることを知り、お目当のバスに乗り込んだ。

「クロラーミュラー美術館に行きたいのですが、このバスで行けますか?」

 もちろん聞く。運転手さんがオランダ語で答えてくれる。だけど、このローカル運転手さん、寡黙な方で無駄な動作も一切ない。身振り手振りでYes Noを示したりもしないので、行けるのか行けないのかはっきりとはわからなかった。江戸時代のエリートでもあるまいし、今のいち日本人がオランダ語ネイティブとオランダ語で会話をするのはハードルが高い。

 なんとなく大丈夫そうなので、運転手さんの近くの席に座った。ゆったりと土地が広い住宅街を抜ける。緑が日本より明るい、絵の具の緑みたいな色をしている。車内に人はそれほど乗っておらず、静かだった。アムステルダムとはまったく違う朗らかさ。

 Google Mapがない時代、ランドマークがないこういう場所では今どこを通っているのかはわからなかった。だから降りる場所を見逃さないためにボンヤリはしていられない。結構時間が経って、いきなりおじさんがこちらを振り返った。言っている言葉はわからないけど、たぶんここが美術館への停留所だと教えてくれているのだと思った。

 私たちはありがとうを言ってバスを降りた。美術館は見えない。田舎の道端に立つ停留所。澄んだ空気を吸い込みたくなるような場所だった。

まるでネロが歩いた道

 今Google Mapで検索するとこの停留所の場所はオッテルローではないかと思う。そして、ここでバスを乗り換えると美術館がある公園の入口まで行けるらしい。当時もあったのだろうか。と言うのも、私たちは誰かに聞いて公園の入口まで歩いた。タクシーはもっと見当たらなかったし。

 だけど、ここの道は旅の中でも十本の指に入る思い出深い道だ。絵に描いたようなヨーロッパの田舎の風景。『フランダースの犬』はベルギーの話だけど、ネロがパトラッシュと市場へ向かって歩いた道みたいだったから。舗装はされていたかどうか。小道と背が高い常緑樹、それとたまにコンクリートでない小川があったと思う。土が凹んでいてそこに水が流れているタイプの川。あと乳牛がいる場所もあった。そうそう、ここに行く時のバス停には牛乳の広告がいっぱいあったのを覚えている。

 途中でたいして人にも会わない。どのくらいかかったかも忘れたけど、おしゃべりをしながら陽気に歩き続ける私たち。遠くに公園の門が見えた時、後ろから観光バスに抜かれた。そうか、ここに行く人はこうしてツアーのバスで行くのかと納得。そのバスに乗っていたのは地元の子供で、学校の社会科見学みたいな授業で訪れているらしかった。ここにもまた行きたいな。

行っても行っても着かない美術館

 美術館は公園の中にある。公園と言っても国立公園。上野の森のようにコンクリートで整備された公園ではなく、代々木公園でもセントラルパークでもなかった。緑もあるのだけど、もっと荒野で先がわからない感じ。日本にはない国立公園だった。

 公園の入口にあるチケット売場でチケットを買って、この先もまぁまぁ距離があることを知った。さっきの観光バスは人を乗せたまま、さらに奥まで走っていった。なるほど。

「そこの自転車を使っていいのよ」

と窓口の方。

 見ると自転車置き場に白い自転車がたくさん置かれている。余裕だ。これで行く。雨が降ったのか、緑が多い故の朝露か、自転車は少し濡れていた。自転車には鍵も識別番号のような物もなく、好きな物を適当に選んで乗っていいらしかった。

 で、ここで問題発生。自転車に乗ると足が地面に着かない(笑)前述のとおり、オランダ人は身長が高い。女性でも180cmを越している。男性はもっと高い。国民全員がオリンピックのバレーボール代表で、NBAのスター選手みたいな国なのだ。おまけに欧米人の方が日本人より足が長いのだから…私たちは大爆笑で困った。

「こっちのは子供用かな?」

 友達が小さめの自転車を見つけた。確かに小さい。といっても、普通の日本の大人用。オランダ人の子供も大きいのだろう。悔しい気持ちよりも笑いが勝っていたのは若かったからだろうか。大人な私たちはそれに乗り、自転車を漕ぎ出した。

 気持ちがいい。鬱蒼とした緑のトンネルや、白い石が転がる広い原っぱを眺めながら自転車を漕ぎまくる。ちなみに、ここの自転車にはギアがなかった。国立公園という土地柄アップダウンがあったから登りがきつい。それでも鼻歌を歌いながら、ついつい漕いでしまうくらいに楽しかった。

 ただし着かない。観光バスが通る直線の道路ではなく、サイクリングや散策用のコースを通っていたのかもしれない。やっと、少し登った丘の上にある美術館の建物に着いた時はもうお昼になっていた気がする。

緑っぽかった絵

 クレラー ミュラー美術館はカジュアルな雰囲気の美術館だった。外の素晴らしい自然を遮断せず、大きなガラス窓から外が見えていたと思う。窓が開いていたら良い匂いがしそう。

 歩いてそれを角を曲がると作品、そんな感じ。ある角を曲がった時、『夜のカフェテラス』があった。作品が展示されている場所は少し奥まっていて、たくさんの光は入らない。それにもかかわらず、ポォっと光を放っているように見えた。

 思っていたとおりの大きさ、カフェのテラス席でおしゃべりをする人々の声が聞こえてきそうな臨場感。生きているようだった。あと圧倒的な黄色と青。この絵は星の白も好き。でも、色は思っていたより全体が緑っぽかったのが印象的だった。

 絵なんてどこで見たって同じだと考える人もいると思う。今だったらネット上でも見られる。だけど、自分の目で見ると結構違うもの。油絵の場合はひと筆ひと筆の使い方、特にゴッホは絵の具が厚いから塗りたくられ盛り上がった絵の具を観察するのが楽しいのだ。

 それと、絵を見ながら思いを巡らすのが好きだ。描いた人はどんな状況だったのか、何を思っていたのか。昔に描かれた物がそのまま残っているのもすごいなとか。ここでもいろいろ考えた。まさか、こんなに遠くまで来られると思っていなかった。偶然知ったことで自分の目で見ることができたのがうれしくて、長い時間をこの絵の前で費やしたと思う。おかげで他の展示品のことをサッパリ覚えてない。

 

 この旅から何年か過ぎた頃、『夜のカフェテラス』が日本にやってきた。なんでよと心で叫んだのは言うまでもない。それでもやはりまた行ってしまって、特別扱いされていなかった現地とは違い、目玉作品として持ち上げられグッズも作られた様子を堪能してきた。

 

今日の場所は、大吟醸トラベルの40番。 

www.google.com