純米@大吟醸

美しいと楽しい、旅と音楽と日々のこと。

1: 1990年代初頭の香港の思い出

 香港がイギリスから返還されたのは1997年。その数年前に私は香港に連れて行ってもらっている。

 当時の教科書には、香港とマカオについて『●●年に返還予定』と書かれていた。人のことだとは言えワクワクしたのだけど、その二十年後にあの街が今のような状態になるとは思ってもみなかった。

 私の香港旅行は1990年か1991年のクリスマスのことだ。よく覚えているのは、空港からホテルまでのタクシーから見た街の色。ベージュで灰色で、日本の建物と比べて飾りが少なくのっぺりとした印象を受けた。あと、冬なのに蒸し暑く、生ぬるい風が吹いていたことも。

 街はもう衝撃と刺激でいっぱいだった。ホテルを出るとネイザンロードという繁華街で、車と人と縦に連なる看板が一度に目に入ってくる。騒音がすごい。言葉の勢いもすごい。キレイな服を着て浮かれている観光客、そんな人たちの隙を狙うスリ。悪いことをしようとギラギラしている目を見たのは初めてだった。

 香港はどこもド派手な印象で、和洋折衷なんでもおいしい食事も楽しかった。気持ちよく疲れてホテルに戻ると、ロビーの大きなクリスマスツリーの前で聖歌隊がクリスマスソングを歌っていた。全員子供で私と同じくらい。アジア系の顔立ちに英語の歌。しっかりとトレーニングされていて、おそろいの衣裳を着て自信をもって歌う姿が美しかった。

 当時は田舎に住んでいたから、閉鎖的で平均的な人と物と価値観の中でしか生きていなかったんだと思う。私にとって初めての宗教行事として祝われる本物のクリスマス。日本のイベント化されたクリスマスとは違うもの。考えてみれば、そんな感じに知らなかった物事をたくさん知った時間だった。いろいろな国からの観光客に別の国に統治された場所。貧富の差と犯罪者。私の日本の生活では感じられないものだった。

 あるレストランで隣のテーブルに座った女性は、後光が刺すかのように美しかった。目を離せないでいると、ウェイターさんがこっそり「とても有名な女優さんです」と。この世にはなんて美しい人がいるのだろう。

 部屋に帰ると、整えられたベッドの枕元にチョコレートが置かれていた。キラリと光る包み紙にきれいなリボン。クリスマスのお祝いの演出なのだろう。小さなお楽しみにワクワクした。

 タイガーバームガーデンにも行った。行った時はタイガーバームを作った人が作った庭だとは思っておらず、もっと歴史的な建物だと思っていた。あの奇抜でおちょくったようなデザインすらも伝統工芸品なのだろうと。白い壁に赤や青の屋根、黄色や黒の縁。日本のお祭りを総動員しても敵わなそうなレベルの派手な場所。

 でも、タイガーバームガーデンでは受けたショックは別のものだった。白い壁の至る所に日本語で「日本人はバカだ。ウンタラカンタラ」という落書きがされていたからだ。誰が書いたのかはわからない。日本語が完璧な非日本人はたくさんいる。でも私は直感で、日本人が日本人に向けて書いた物だと思った。書いてある事もひどいけど、わざわざ別の国に来てまで人の物を汚して何が楽しいのだろう。当時の私にはまだ国籍や人種間の争いに関する知識はあまりなかったのだけれど、とても恥ずかしい気持ちになった。書いたあなたが一番バカ。

 残念だったのは、家族旅行のため船頭が父であったこと。いろいろな場所へどう行ったか、ひとつも覚えていない。大人になって訪れた場所のことは細かく覚えているから残念に思う。例えばビクトリアピークにはどうたどり着いたのだろう?有名な景色を眺めたこと、勝手に写真を撮って売りつけてくる人たちがいたことは覚えていても、そこまでへの行き方は覚えていない。

 ビクトリアピークからの景色はひと目で好きになった。見たことがない高層ビルがひしめき合うように立つ姿は、香港という土地が持つエネルギーを表しているようだと感じた。ギトギトしていて止まらない。ほんの子供にとっても、騒々しくて小汚くて悪いことをする人もたくさんいる香港は魅力的だった。知らないことを知る時に感じるゾクゾクの力は強い。

 落ち込んだ時、弾けたい時に行きたい街 No.1。だけど、最近はいろいろあるしで行っていない。今後、あの街はどうなるのだろう。今の運動を主導する若者たちは、私が訪れた時のことを知らないだろう。あの運動にもあの時に感じたエネルギーが見える。日本だったらありえない。彼らは自分たちの居場所を取り戻せるのだろうか。

場所の詳細は、Google My Map 大吟醸トラベル の1番にて。