純米@大吟醸

美しいと楽しい、旅と音楽と日々のこと。

42と43:オーストエンデとドーバーの思い出

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 普段はまったく使わないけど、Google Mapには海路も出ている。それで知った。今日書こうと思っていたフェリーが今はもう運行されていないらしいことを。

イギリスに渡る

 ベルギーの西の果てにオステンデという海辺の街があった。Oostendeと書いて、今調べたところ“オーストエンド”と読むらしい。難しいオランダ語?Oが重なるとかわからない。私はそこからイギリスに渡った。外国人の旅行客はおそらく取らないルートで行った理由はたぶん、旅行会社か緑の窓口みたいな所の方にオススメされたから。

 当時は確かユーロスターが開業して数年だった。電車でパリまで行ってユーロスターに乗ればすぐ着くのは知っていたけど、物珍しさよりヨーロッパまで来て日本の新幹線みたいな物に乗ってはおもしろくないという気持ちが勝った。だから私は「何かおもしろい行き方はないか」と尋ねたのだと思う。

 フランスのカレーから海路があるのは知っていたけど、ベルギーからイギリスに行けるのは知らなかった。おもしろそう。それで行く。当時の私はそんなノリだった。若い。

激揺れのドーバー海峡

 だけどフェリーに乗り込むなり、私たちは後悔した。日本にもあるのか知らない大型の船。

 一瞬で船酔いした……(泣)

 私も友達も車に酔うタイプではない。なのにSeacatという名のそのフェリーに足を踏み入れるなり、エンジンの振動だけで酔った。あれは何だったんだろう。

 波がとにかく荒い。私が知っていた波なんて所詮、日本の内海とすぐ前に体験したスウェーデンの海くらいだったから仕方がない。ここの波はそれらの遥か上だった。それ以降にドーバー海峡を泳いで渡る挑戦の話を聞くたびにモンスターだと思うくらい。

 だって、大型のフェリーが揺れまくる。 手で体を支えていないと椅子から転げ落ちそうだった。ものすごく大きく揺れると反対側の窓から海面が見えるくらいに傾いた。こういう遭難映画があったと思う。

MajiでHakiそう5秒前

 だけど、フェリーに乗った人たちは平気みたいだった。このフェリーはどうやら青函連絡船のような交通手段。誰も彼も免税でタバコとお酒を山のように買っていて、客室の真ん中にある大きなバーカウンターでお酒を飲んでいた。私たちが吐きそうだった要因のひとつは、このバーカウンター。普段はお酒好き。だけど、船酔い真っ最中でアルコールの匂いはきつかった。

 寝たくても、揺れて揺れて眠れない。据え付けられたフカフカの椅子とテーブルで横になって寝るツワモノを尊敬した。私は岸はまだかとひたすら耐えて、やっと着いたその時、順番を守って船を降りるのがもどかしかった。

「私、あと五秒で吐く」

と、友達と何度も言い合った記憶がある。吐かなかったのが不思議。どのくらいキツかったかと言うとあれ以来、非常用ポーチに必ずトラベルミンを入れているくらい。そのくらいトラウマになった。

丘に立つドーバー城

 上の絵はドーバーに到着時、港から見えたお城。寒々しい雰囲気の港町だったけど、そのいかにも王子様が助けに来てくれそうな古いお城を見てテンションが上がった。そのままドーバー城と言うらしい。

 コナン ドイルの『ナイジェル卿の冒険』『白衣の騎士団』の時代のお城はこんな感じかと思ったら、こちらは十一世紀に作られたらしい。古い。行ってみればよかったなと今、後悔してる。

 高台の上にお城が建っていることしか覚えていなかったけど、写真を調べてみたら、ただの崖だと思っていたところは人の手が入った砦のようにも見える。町の東側にもダイナミックな崖が広がっているし、ここはもう一度行かないとだ。

 この時はロンドンに行かなくちゃだったから、言われたとおりに電車に乗り換えた。途中通ったカンタベリーも素敵そうだった。ここにもきっとまた行くことだろう。

 

ナイジェル卿の冒険

白衣の騎士団

 

今日の場所は、大吟醸ドラベルの42番と43番。

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41:ブリュッセルの思い出

 飛行機の乗り換えだけで通った街に、陸路で戻ってきた。オランダでゴッホを見てから電車に乗って、夕ご飯の時にはブリュッセルの街を散策していたから三、四時間で着いたのか。インターシティが到着した駅はとてつもなく街のど真ん中にあった気がする。

 ベルギーは国土が確か四国くらいしかない国で、どこに行くにも二時間くらいらしい。だからベルギー人には転勤がないとか。日本で仕事のために家族全員で引っ越したり、単身赴任をするのをすごいと言っていた。

 国土の小ささと駅を出てすぐ繁華街があることの関係性はわからない。とにかく、イメージはブリュッセル駅が原宿駅みたいなイメージ。外に出ると、すぐに観光名所があった。

ワッフルとムール貝

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 夜に着いた私たちはホテルに荷物を置くとすぐに街に出た。素敵な場所は明日でいい。とにかくお腹が空いていた。おそらくグランプラスの方に行って、気になるお店に入ったのだと思う。私は本当に何の予習もしない人。食べ物やその地域の名産は友達が調べるのが好きだったので、いつも調べてもらっていた。

 友達が選んだメニューはムール貝の白ワイン蒸し。バケツのようなお鍋で出てくるのがおもしろいし、その前に量がすごい。本当にバケツ。それでも確かふたり分だったと思う。絵には描かれていないけど当然ポテトが一緒に出てきて、オランダで食べた物と同じようにホクホクだった。私は美味しそうに見えたブイヤベースを追加。海は見えないけど海の幸がおいしい素敵な街。この頃はそこまでベルギービールブランディングされてなくて、ビールに合う料理なんて話題にならなかったと思う。ベルギーは食の街として知られていたくらい。ソーセージやお肉もおいしいことを知ったのはその後だから、やっぱりまた行かないと。

 お腹いっぱい食べた後は、街を散策。この街も該当がオレンジ色をしていてしっとりきれい。雨で石畳が濡れている様子がやっぱり好きだった。

 その時、まだ開いているカフェからお姉さんが微笑んでいるのが見えた。カフェへの入口とは別にテイクアウトの窓口があるお店。

「デザートにワッフルはどう?」

 素敵。銀座にマネケンがあるおかげで、私もベルギー=ワッフルは知っていた。それにヨーロッパに来る時に乗ったサベナ ベルギー航空でもワッフルが出たし。私たちは「もちろん!」とふたつテイクアウトに作ってもらった。

 平たいお皿の上に乗ったワッフル。でも私が知っているベルギーワッフルと違って四角だった。その上にたっぷりの生クリーム。当時は知らなかったけど、これがブリュッセルスタイルのベルギーワッフルらしい。マネケンのはリエージュという街のスタイル。他にあまりおいしくないらしいアントワープスタイルもあるのだそうだけど、これは私も食べたことがない。

 ブリュッセルスタイルのワッフルは本当においしかった。カリカリの表面に中はしっとり。そしてサイズが大きい。マネケンの二個分強はあったな。生地そのものは甘くなく、乗せられたたっぷりの生クリームで甘みを追加するのが楽しい。お姉さんと雑談をしながら、お店の前で平らげてしまった。

 私の本場のワッフル体験は素敵な思い出だ。

干からびたコンタクトレンズ

 移動の多い旅は刺激に満ちていてアドレナリンが出っ放しなのだけど、それゆえ大失敗をすることがある。オランダでは十万円弱のユーレイルパスを引きちぎったし、今回のコンタクトレンズ干からび事件もそうだ。

 私は目がそこまで悪くはないので日本ではそれほど視力矯正はしないのだけど、鉄道の旅では必ずしてた。駅名、プラットフォーム案内、時刻表のパラパラが見えないから。だけど夜は外す。興奮のまま擦り洗いも適当に、ある朝起きたら持ってきた洗浄液の蓋にカピカピになったコンタクトがくっついていた。この時は使い捨てでないレンズを使っていた気もする。つまり、私はコンタクトレンズの片側を一日使うことができなかった。

(浸しておけば戻るんじゃない?)

 私は楽観的だ。まったく見えない訳ではないのもあるけど、替えのないコンタクトがまずい目に遭っていても動じなかった。そして、ベルギーに着いた翌朝、コンタクトは復活していた。すごい。何もなかったかのように目に入れ、街歩きに出た。何事も諦めてはいけないということを、私は学んだ。

国立美術館と漫画美術館

「100BFで安い」と日記に書いてある。そうだ、この頃はユーロはまだ小切手で出回っていたくらいで、紙幣や硬貨は出回っていなかった。ベルギーはベルギーフラン。あとサンチーム。懐かしいー。

 当時はこの小国のなかでオランダ語を話す人とフランス語を話す人での精神的な小競り合いがあることなんて知らなかったけど、文化的な物事を、特に若者に、安く触れられる機会を作る国はすごいと思っていた。当時の日本は学割がそんなになかった。例えば、携帯料金でauが学割を作ったのはここからさらに数年後のこと。いろいろな所で社会人と同じ料金を払わないとならなかった。だからヨーロッパはすごい。

 特に何の展示物があったのかは忘れたけど、有名な画家の作品がたくさん所蔵されていた。印象が薄いのは、この頃には既にヨーロッパの美術にうんざりしていたからだと思う。

 ヨーロッパで誇らしげに飾られているのは、ほとんどイエス様の絵。痩せ痩けて目が虚ろなイエス様、磔にされて瀕死のイエス様、頭に刺さったイバラの冠から血を流すイエス様……。ヨーロッパ人はこの絵を見て、自分たちの精神的な起源のようなものでも感じるのだろうか。私は不気味さの方を強く感じてしまって、ひどいや悲しいという感情すら湧いてこなかった。

グランプラス

 ここは圧巻だった。世界で最も美しい広場なのではないかと思う。歩きながら建物と建物の間に明るい場所が見えた時、光り輝いているように見えた。四、五階建てくらい建物がグルリと広場を囲んでいるのだけど、建物の装飾が繊細で美しかった。一番上に塔があるスタイル。

 一見お店が入っているようには見えない伝統的な建物なのに、一番下の階には有名なメーカーが入っていたりする。街の景観を崩さないようにする京都みたいな雰囲気。この広場ではさまざまな催し物が開かれるようで、今度はそういう時に訪れてみたいと思った。

 

 大人になってベルギー人とあったり、ベルギーの物事をもっと知るようになったし、改めてじっくり旅したい。アントワープもゲントも電車で通過しただけだし、丸いワッフルがあるリエージュにも行ってみないとと思っている。

 

 今日の場所は、大吟醸トラベルマップの41番。

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私はドゥ ラ メールが効かない (とその他、効果がなかった評判の品々)

 在宅勤務で時間に余裕ができたのか、メイクは軽くでよくなったからか、昨年の今頃は肌そのものをお手入れしたい気分になっていた。そして試した。以前から気になっていた物もいろいろな口コミをしっかり読んで購入した。だけど、今日書くのは効果を感じられなかった物だけ。人の肌はそれぞれなんだなと思った。

ドゥ ラ メール(De La Mer)

a.r10.to

 言わずと知れた高級コスメ。標準サイズの60mlで四万円ほどする。高い。特に乾燥肌の方からの評価が高かったから、混合肌の私は今の今までスルーしていた。

試したきっかけ

 ドゥラメールは高額なのだけど、スキンケアアイテムはトータルで考えると同じように高額。美容液、アイクリーム、クリーム。これを全部足したらドゥラメールひと瓶になるなと思ったから。うるおい、毛穴、シミすべてに万能で効くなんてコメントもあったし。

効果を感じない

 お試しサイズの15mlがあったので購入した。我が家の爪クリームと同じ量(笑)今はスパチュラひとすくいで使い続けて半分を消費したくらい。正直な話、噂にあるとおりニベアな印象。ベタベタするかしないかの違いくらいしか感じない。

  • お肌にふっくらとハリ:変化なし
  • うるおい:逆にうるおいを感じないくらい
  • 毛穴が小さくなる:変化なし
  • キメが整う:変化なし
  • お肌に生命力:生命力がないような見た目
  • ツヤ:マット

 こんな感じ。量が足りないのかと、途中からかなりたっぷり塗っても結果は変わらず。普段から割と効果な美容液やクリームを使っているからかもしれない。だけど、それにしてもな残念感。もう少し庶民価格なデパコスでも翌朝はオオっとなるなと思った。

良いところ

  • 楽天ショップがある。スーパーセールの時はポイントがかなりつくのでお得な気分
  • 寝て起きた朝、顔がベタベタしていない。私はたいていの化粧品で顔がベタベタになる人なので、これはうれしい

 ということで、ドゥラメールを使っても私の肌はまったく良くならなかった。

オバジの一番高い美容液

Obagi(オバジ) オバジ C25セラム ネオ 11,000円

試したきっかけ

 毛穴にはオバジと聞いたから。シミにも効いたらいいなーなんて下心も。

効果を感じない

 一本使い切っても毛穴が改善することはなかった。

良いところ

 初めて使用した次の朝から肌がツルツルになる。表面がツルン♪この感じは今まで使った化粧品や美容皮膚科等でも一番だと思う。

 だけど、ツルツルのためだけに一万円は高い。

メラノCC

メラノCC 薬用しみ・そばかす対策 保湿クリーム Wのビタミン配合 23g 878円

試したきっかけ

 シミに効く、コスパ最強、高い美容液がいらないというコメントがたくさん。

効果を感じない

 一本使ったけど???としか思わなかった。安いから毎回かなり大量に使ったのに。

良いところ

 なし。

 私には全然効果を感じられなかった物。これでいいとコメントしている方は普段どんな化粧品を使っているのか気になったくらい。

KISO キソという化粧水

安定型 ビタミンC誘導体 10%配合 化粧水 APS10 120ml 国産 アプリシステムローションX ビタミンC vitaminc APS アスコルビルリン酸na プロテオグリカン ヒアルロン酸 イオン導入 導入液

 私が購入した物は『グリシルグリシン5% 高配合 化粧水 美容水 KISO キソ GGエッセンス 50ml 肌のキメを整える・肌を引き締める』という商品。長い。なんだろ、この会社。でももうないのか、削除されてるのでメーカーがわかるように似た商品を載せておく。

試したきっかけ

 毛穴がなくなるというコメントを読んだから。

効果を感じない

 毛穴はなくならないどころか、小さくも引き締まりもしなかった。これなら普通に修練化粧水でいいような。匂いがなかったり、液体を肌に乗せた感じが水だった。

良いところ

 ない。

 容器も小さいのになかなかお高いのも困ったものだと思った。

 

 やっぱりシミはレーザー、保湿は水分摂取だと思う。本当に効く化粧品があったら使いたい。後は肌に刺激を与えないこと。今はこれをがんばってやっている。

39:アムステルダムの思い出(その3 フライドポテト)

  アーンヘムからアムステルダムに戻った私たちは、次の目的地に向けて旅立つ。駅を近くを歩いていた時、見たことのない食べ物が売られているのが目に入った。

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 こういうポテト。

 今となっては、それがベルギースタイルのフライドポテトの食べ方であることは知っている。だけど、この時は人生で初めて見た物だったから驚いた。

 おもしろがってサイズはラージを選択。でも日本のラージじゃない。スポーツの応援で使うメガホンをひと回り小さくしたくらい。オランダは人のサイズが大きいからそうなるのだろうか。

 そういえば、昔の映画館や遊園地で売られていたポップコーンやスナックにこんな物があった。円錐を逆さにした紙に食べ物を入れている。オランダのフライドポテトはその中にフライドポテト。そして、一番上にはポテトが見えないくらいのマヨネーズ。

 確かソースにはいくつもの種類があった。パプリカとかガーリックとか。この時選んだのはシンプルな普通のマヨネーズ。私はそんなにマヨネーズ好きではないのだけど、この食べ方は斬新だったから気に入った。日記には手をベタベタにしながら食べたと興奮が記されていた。

 日本のじゃがいもともアメリカのポテトとも違うじゃがいもだと思う。ホクホク感は男爵で長さがあったからたぶん形はメークイン。一本が一センチ角くらいあったと思う。ジャンクフードなのにすごくおいしくてたまらなかった。

 だからと言って、家でフライドポテトを食べる時にマヨネーズをつけるようになりはしなかった。逆にフライドポテトにつけて食べるために、シェフがマヨネーズを手作りしてくれる、そんな機会に恵まれるようになった。これが激ウマ。ポテトもマヨネーズも食べきれない分を持ち帰られてもらったくらい。

 旅行をする時のあまりの準備のしなさに驚くけれど、だからこそこうして衝撃的な感動に出会うことができる。映画とかも前情報なしに観た方がおもしろさを感じるものだ。

 今日の場所は、大吟醸トラベルマップの39番。

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40:クレラー ミュラー美術館の思い出

 ここの絵も描きたい。そう思うくらいに日本にはなく、覚えていたい風景だ。

 翌日、私たちは電車に乗ってアムステルダム近郊の街、アーンヘムに来た。朝に都市間を移動すると新聞とコーヒーを手にするお勤めの方を多く見たのだけど、この路線はずっと朗らかだった。でも観光客もいない。

いきなりド田舎

 アーンヘムの駅から美術館まではそこそこ距離があった。ガイドブックに行き方が乗っていたかもわからない。だって駅に降りただけで、ゴッホ美術館のように誰もが行く場所でないことは明らか。人がいないからタクシーもない。私たちはバスで行けることを知り、お目当のバスに乗り込んだ。

「クロラーミュラー美術館に行きたいのですが、このバスで行けますか?」

 もちろん聞く。運転手さんがオランダ語で答えてくれる。だけど、このローカル運転手さん、寡黙な方で無駄な動作も一切ない。身振り手振りでYes Noを示したりもしないので、行けるのか行けないのかはっきりとはわからなかった。江戸時代のエリートでもあるまいし、今のいち日本人がオランダ語ネイティブとオランダ語で会話をするのはハードルが高い。

 なんとなく大丈夫そうなので、運転手さんの近くの席に座った。ゆったりと土地が広い住宅街を抜ける。緑が日本より明るい、絵の具の緑みたいな色をしている。車内に人はそれほど乗っておらず、静かだった。アムステルダムとはまったく違う朗らかさ。

 Google Mapがない時代、ランドマークがないこういう場所では今どこを通っているのかはわからなかった。だから降りる場所を見逃さないためにボンヤリはしていられない。結構時間が経って、いきなりおじさんがこちらを振り返った。言っている言葉はわからないけど、たぶんここが美術館への停留所だと教えてくれているのだと思った。

 私たちはありがとうを言ってバスを降りた。美術館は見えない。田舎の道端に立つ停留所。澄んだ空気を吸い込みたくなるような場所だった。

まるでネロが歩いた道

 今Google Mapで検索するとこの停留所の場所はオッテルローではないかと思う。そして、ここでバスを乗り換えると美術館がある公園の入口まで行けるらしい。当時もあったのだろうか。と言うのも、私たちは誰かに聞いて公園の入口まで歩いた。タクシーはもっと見当たらなかったし。

 だけど、ここの道は旅の中でも十本の指に入る思い出深い道だ。絵に描いたようなヨーロッパの田舎の風景。『フランダースの犬』はベルギーの話だけど、ネロがパトラッシュと市場へ向かって歩いた道みたいだったから。舗装はされていたかどうか。小道と背が高い常緑樹、それとたまにコンクリートでない小川があったと思う。土が凹んでいてそこに水が流れているタイプの川。あと乳牛がいる場所もあった。そうそう、ここに行く時のバス停には牛乳の広告がいっぱいあったのを覚えている。

 途中でたいして人にも会わない。どのくらいかかったかも忘れたけど、おしゃべりをしながら陽気に歩き続ける私たち。遠くに公園の門が見えた時、後ろから観光バスに抜かれた。そうか、ここに行く人はこうしてツアーのバスで行くのかと納得。そのバスに乗っていたのは地元の子供で、学校の社会科見学みたいな授業で訪れているらしかった。ここにもまた行きたいな。

行っても行っても着かない美術館

 美術館は公園の中にある。公園と言っても国立公園。上野の森のようにコンクリートで整備された公園ではなく、代々木公園でもセントラルパークでもなかった。緑もあるのだけど、もっと荒野で先がわからない感じ。日本にはない国立公園だった。

 公園の入口にあるチケット売場でチケットを買って、この先もまぁまぁ距離があることを知った。さっきの観光バスは人を乗せたまま、さらに奥まで走っていった。なるほど。

「そこの自転車を使っていいのよ」

と窓口の方。

 見ると自転車置き場に白い自転車がたくさん置かれている。余裕だ。これで行く。雨が降ったのか、緑が多い故の朝露か、自転車は少し濡れていた。自転車には鍵も識別番号のような物もなく、好きな物を適当に選んで乗っていいらしかった。

 で、ここで問題発生。自転車に乗ると足が地面に着かない(笑)前述のとおり、オランダ人は身長が高い。女性でも180cmを越している。男性はもっと高い。国民全員がオリンピックのバレーボール代表で、NBAのスター選手みたいな国なのだ。おまけに欧米人の方が日本人より足が長いのだから…私たちは大爆笑で困った。

「こっちのは子供用かな?」

 友達が小さめの自転車を見つけた。確かに小さい。といっても、普通の日本の大人用。オランダ人の子供も大きいのだろう。悔しい気持ちよりも笑いが勝っていたのは若かったからだろうか。大人な私たちはそれに乗り、自転車を漕ぎ出した。

 気持ちがいい。鬱蒼とした緑のトンネルや、白い石が転がる広い原っぱを眺めながら自転車を漕ぎまくる。ちなみに、ここの自転車にはギアがなかった。国立公園という土地柄アップダウンがあったから登りがきつい。それでも鼻歌を歌いながら、ついつい漕いでしまうくらいに楽しかった。

 ただし着かない。観光バスが通る直線の道路ではなく、サイクリングや散策用のコースを通っていたのかもしれない。やっと、少し登った丘の上にある美術館の建物に着いた時はもうお昼になっていた気がする。

緑っぽかった絵

 クレラー ミュラー美術館はカジュアルな雰囲気の美術館だった。外の素晴らしい自然を遮断せず、大きなガラス窓から外が見えていたと思う。窓が開いていたら良い匂いがしそう。

 歩いてそれを角を曲がると作品、そんな感じ。ある角を曲がった時、『夜のカフェテラス』があった。作品が展示されている場所は少し奥まっていて、たくさんの光は入らない。それにもかかわらず、ポォっと光を放っているように見えた。

 思っていたとおりの大きさ、カフェのテラス席でおしゃべりをする人々の声が聞こえてきそうな臨場感。生きているようだった。あと圧倒的な黄色と青。この絵は星の白も好き。でも、色は思っていたより全体が緑っぽかったのが印象的だった。

 絵なんてどこで見たって同じだと考える人もいると思う。今だったらネット上でも見られる。だけど、自分の目で見ると結構違うもの。油絵の場合はひと筆ひと筆の使い方、特にゴッホは絵の具が厚いから塗りたくられ盛り上がった絵の具を観察するのが楽しいのだ。

 それと、絵を見ながら思いを巡らすのが好きだ。描いた人はどんな状況だったのか、何を思っていたのか。昔に描かれた物がそのまま残っているのもすごいなとか。ここでもいろいろ考えた。まさか、こんなに遠くまで来られると思っていなかった。偶然知ったことで自分の目で見ることができたのがうれしくて、長い時間をこの絵の前で費やしたと思う。おかげで他の展示品のことをサッパリ覚えてない。

 

 この旅から何年か過ぎた頃、『夜のカフェテラス』が日本にやってきた。なんでよと心で叫んだのは言うまでもない。それでもやはりまた行ってしまって、特別扱いされていなかった現地とは違い、目玉作品として持ち上げられグッズも作られた様子を堪能してきた。

 

今日の場所は、大吟醸トラベルの40番。 

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面倒だと言われるポテサラを作って思ったこと

 前にポテトサラダについて一悶着あった。

 普段料理をしなそうな人の発言が普段料理をする人たちの怒りを買った。そんな感じだったと思う。私はそこまでポテトサラダを愛している訳ではないけれど、何年か一度くらいは食べたくなって買う。こういう物は作り手のこだわりが出るものだ。違うお店で買えば、それだけバリエーションを知ることができるから買っていた。もちろん単純に作るのがめんどうだという理由もある。

 だけど今日は作ってみた。

daiginjo business potato salad

【結論】ポテサラ作りはそこまで面倒ではない

 確かに面倒くさい。だけど面倒な社内政治とマウント合戦、面倒な顧客用の提案や火消しをすることを考えれば、ずっと楽。ポテサラは食べられるし。それが私が思ったこと。そして、途中でつまみ食いをしながら作るのは思っていたより楽しかった。

なんで作った

 北海道直送のじゃがいもが手に入ったから。ホクホク度が半端ないじゃがいも。最初は茹でてバターをつけたりベイクドポテトにしたりして食べていたんだけど、ある時「これはポテトサラダにするべきだ」とひらめいた。それで作った。

面倒たる所以

 作って見て感じたこと。面倒だと思ってしまうのは、たぶん茹でたお芋を冷ますのに時間がかかるから。熱々のまま作業を進めればマヨネーズが溶けてしまう。あとは先にゆで卵を作って置くことも忘れそう。固茹でだから微妙に時間がかかる。慣れればドンドン作れそう。

 参考にしたレシピは敬愛する冨田ただすけさんの物。

www.sirogohan.com

作るといいこと

 できたてもおいしいけど、冷蔵庫から出したての冷えたポテトサラダも好きな私はおかしいかもしれない。だけど、ポテトサラダのいいところはそこ。一度作っておけば数日は食べられる。作り置きのおかずがひとつ冷蔵庫にあると、ごはん作りもお弁当作りもグンと楽になる。小腹が減った時にひと口食べるのも好き。なぜかビールにも合うし。

「ポテサラくらい作れ」と言われたら

 お惣菜を買ってきて盛り付け直して「手料理♡」と言う都市伝説の人、本当にいるのかな。しもしないくせに料理が楽で簡単だと思ってる人に言われたら、迷うことなくこの都市伝説の人になろうと思う。少ない量だと買った方が節約にもなる。

 それか、やってTRYに出てもらう。

【教訓】

 仕事上で起こる面倒なことは、極めて面倒だ。原因はほとんど全員がイヤイヤやっているのと、自分たちですべきことを他人にさせているから。とはいえ、ほとんどすべての会社員はイヤイヤでもするしかない。変えるべきは結局ここだな。自由意志で作っておいしく食べられるポテトサラダを作りながら、決意を新たにした。

39:アムステルダムの思い出(その2)

 アムステルダムの街はそれほど大きい印象はなかったけど、計画されて作られたことがよくわかる。規則的に運河があって、最初に降りた駅を中心に放射線状に街が伸びる。空から見たらマンガに出てきそうな地図になりそうだけど、ヨーロッパにはこういう街が結構あった。

たいしたことじゃない精神

 私は生来きちんとした人。物はきれいに使うし整理整頓も好き。だから旅の途中で溜まるパンフレットやチケット類も都度処分していた。しかし、アムステルダムで事件が起こった。使い始めたばかりのユーレイルパスを真っ二つに破ってしまったのだ。

 ユーレイルパスは前払いの周遊パスだから、乗車時に基本的に運賃はかからない。しかし特にインターシティと呼ばれる都市から都市へと長距離を移動する時は、事前の席の予約が必要になる。予約をした後には座席番号が入ったボーディングパスが手渡される。昔の飛行機の搭乗券みたいなやつ。到着して不要になったそれとユーレイルパスを勘違いして、捨てようと思ったのだと思う。

 破り終えた瞬間にやらかしたことに気づき、一瞬パニックに陥った。なんとなくだけど、破損したら無効だと思った。世界的潔癖日本人的な考え方なのはわかってる。困った私はユースホステルの受付のお兄さんにセロハンテープを借りる。お兄さんは「そんなの大丈夫でしょ」とニコニコしながら、きれいに復元した私の腕を褒めてくれた。

 後日、破れた後に初めてユーレイルパスを使う時は緊張した。車掌さんに手渡してチェックしてもらうから。相手も日本人であれば、偽造を疑われたり文句を言われるはず。でも今日も平常運転とばかりに知らん顔をしていた。

「どうもありがとう、マダム」

 その瞬間に心の中でフーーーーーーッと息を吐く。その後も一度もテープで貼り付けられたパスに文句を言う車窓さんはひとりもいなかった。完璧でなくていいということを、私はこの時に学んだと思う。

 そうそう。ヨーロッパではアメリカと違ってMs.と呼ばれない。なぜかマドモアゼルでもなくマダムだったのが不思議。この時は若者だったし、アジア人は見た目も肌も若い。どういう基準なのだろうか。マダム以外で呼ばれることがない歳になって、あの時もっと詳しく聞いてみればよかったと思っている。

マリファナ天国

 アムステルダムが快楽万歳な街であることは知っていた。街も浮かれている感じ。たいして広くない路地や角に人がワラワラとたむろしていて、マリファナの匂いが漂っていたのが思い出される。浮かれているのはそのせいだろうか。

 私たちも歩いているだけで「コレいる?」と手で合図される。その人数があまりに多いので面倒になってしまい、アンネ フランクの家に行きそびれたことを覚えている。そこで私たちは代わりにタバコを持って、「タバコがあるからいらない」とジェスチャーで応えた。そうしている人を見て真似しただけ。

 日記には運河クルーズをしたと書いてるのだけど、そんなの本当にしたのか思い出せない。いろいろな場所で気が向くとクルーズしてきたけど、アムステルダムの運河は道頓堀みたいなイメージ。それでも街を下から見るのが楽しかったこと、船頭(?)のおじさまがいい人だったことが日記に書かれている。

 今調べたら、隅田川のヒミコみたいなデザインの船だ。そんな物に本当に乗ったのだろうか。覚えていない。

まさかのゴッホ美術館で

 こんな感じで大人の世界の衝撃を受けたアムステルダムだけど、最大の衝撃は美術館で起きた。美術館は広々とした芝生の公園の一角にあった気がする。遊ぶ親子がたくさんいて、美術館自体は現代的な建物だった。ゴッホは私が好きな画家のひとり。せっかくだしと、好きかどうかはわからない友人を連れて行った。

 中はもちろんゴッホゴッホゴッホ。日記には「有名な作品がたくさんあった」と書いているけど、具体的に何だったかは覚えていない。それよりも膨大な歌川広重のコレクションが所蔵されていることは知らなかったので、そちらにビックリした。相変わらず予習が足りない私。

「七夕と梅のがよかった」

 らしいけど、それもどれだかわからない。

 貸し出されている絵もなく、全体をたっぷり見られたと思う。訪れた時に他の美術館に行っていたりするとショックだから。こんな風に展示を堪能して、最後にミュージアムショップに行った時、いよいよそれが起こった。

 そこにはゴッホに関するあらゆる本があって、私はその中から大好きな『夜のカフェテラス』が表紙に使われてた本を手に取った。パラパラとページをめくって解説を読むと、なんとこの絵がオランダにあることがわかった。アーンヘムという街のクローラーミュラー美術館。本当はアーネム(Arhem)のクレラーミュラー美術館(Kröller Müller Museum(笑)。私の英語読みがまたしても炸裂した瞬間だった。「ö」がeの発音になるのがわからない。

 私はこの絵のことを勝手にオーストリアのどこかにあると信じ、一生自分の目で見ることはないだろうと思っていた。日本にも来ていなかったし。だから行きたいと思った。だって、今オランダにいる。次にすぐ来るとは思えない。

 勢いで店員さんに尋ねるとアムステルダムから電車で一時間ほどで行けることがわかった。行こう。友達が行くことに賛成してくれた。ドキドキした。

 今日の場所は、大吟醸トラベルマップの39番。

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