純米@大吟醸

美しいと楽しい、旅と音楽と日々のこと。

55 & 115 ローレライとバッハラッハの思い出

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ローレライは雪

ライン川沿いを電車で進んだ時の日記には「雪雪雪」と書かれている。スペインではタンクトップが欲しかったのに、ドイツは雪。すごい気候の変化だ。そんな寒空の下、この路線ではローレライの岩という物を見ておきたかった。有名だからだ。

 もしかしたらセイレーンの話と混同していたかもしれない。だけどこの頃、ラルク アン シエルが出したアルバムの中に『ローレライ』という曲があった。最初の英語はアレだけど、それ以外はすごくかっこいい曲。だから私はこの名称を知っていた。

 実際にその地に来ると、どれだからわからなかった(笑)それとライン川のことももっと雄大だと思っていた。川幅がもっとある感じ。だけど、そこまで幅は広くなく、ゆったりした水の流れから深さはあるんだろうなと想像した。ドナウと間違えていたのかもしれない。

 両側には低い山があった。丘の方が正しいかも。その山は岩っぽくて、どれも似ていて、ローレライに商業的な看板が掲げられてはいなかった。朝買ったイチゴを食べながら、ずっと岩を眺めていた。春ならば緑いっぱいの美しい景色が見られるのだろう。

「あれがローレライよ」

 近くの席に座っていた女性が教えてくれた。見にくる人があまりに多いのだと思う。おかげできちんと見ることができて、お礼にイチゴを一緒に食べた。

「今年初めてのイチゴだわ」

女性はそう言って喜んでくれた。グーグルマップがある時代だったら、この方とは出会えなかった。思い出すといいなと思う。

バッハラッハの古城のユースホステル

 ライン川沿いの小高い山には、その頂上付近に小さな古いお城が建っていた。その時、私たちもそのうちのどれかを目指していた。どこかで誰かに聞いていたのだ。この辺りにはドイツ国内でも人気が高い、古城のユースホステルがあるという話を。電話をして空きを聞いてみたら「大丈夫だよ!待ってるね!」と気さくで適当な感じだったので、不安になった。こういうホテルは少なくはなくて、少し不安になったものだけど、大都市でなければオフシーズンはこんなものだと学んでいた。

 バッハラッハという、一度聞いたら忘れない名前の街。ポツンと一軒家の調査中に通りそうな小さな街だったのだけど、ここがまたとても素敵だった。日記にも「花があって素敵」とだと書いている。お城をユースホステルにしてしまったのだってかっこいい。古城に泊まるなんてワクワクしない訳がない。

 そしておお!っとなった。現代の言葉で言うならOMGだ。さっき見ていた頂上付近に建つお城たち。そこにたどり着くためにはものすごく長い階段を登らないことは、近くまで来ないと気づけなかった(笑)しかも、その階段は手でカットしたレンガを幼稚園児が手でつなげたようなデコボコ斜めのオンパレード。幅も狭い。絵に描いたら、日本昔ばなしみたいな絵になりそうだ。若くて荷物もコンパクトな私たちはいいけど、登れない人はいないのか。「エスカレーターをつけろ」といったクレームが出ないところがヨーロッパだなと思っていた。業者の納品の方とかはどうするんだろう。

 私たちは予定にない山登りをした。入口に着く頃には日が落ちそうになっていた。でも山の上からの眺めはいい。そして、ユースホステルも居心地が良さそうだった。電話に出たフレンドリーなスタッフの方が受付をしてくれたのだけど、ビバリーヒルズのブランドンみたいだったと日記に書かれている。

お城に泊まる

 外観はお城だけど、中は古城感を活かしてきれいに整備されていた。お城の中は静かだった。部屋まではユースの方が部屋まで案内してくれた。誰かにオススメされたり評判がいいユースホステルに数軒泊まったけど、部屋に案内されたのは初めて。しかもおじさまが手にしているのはカンテラだった。今思えば演出だ。通路には非常灯しかなくて、つまり真っ暗。カンテラの明かりだけが頼りだった。ホグワーツもびっくりな、中世の(たぶん)生活を思わぬところで体験することができた。

 私はワクワクしていた。右を見ても左を見ても暗い。そして前のめりで派手に転んだ。おじさまが「今言おうとしたのに」とつぶやく。段差があることに気づけなかった。自ら爆笑。成人なのにと恥ずかしかった。

 部屋も快適だった。この時はドミトリーだったのだけど、シャワーもトイレも付いているタイプで、部屋には私たち以外いない。というか、ここに来てから他にお客がいる気配を感じていなかった。季節外れでお客がいないのかもしれない。それかまた他の方とは離した部屋にしてれているのだ。ドイツの人が旅行者に対して親切なことはベルリンで知っていた。こういう配慮が誰でもできるのはいいなと思った。 

 窓からライン川が見える。月の光で小さく光っているだけで、周りは闇でおどろおどろしい。これならローレライの伝説が生まれた理由もわかる。あと、窓の外には雪。友達は飲みかけの牛乳パックをその雪に埋めて冷たくしていた気がする。

 静かな夜にたっぷりと眠って、朝ご飯を食べに行くとビックリした。結構人がいた。家族連れもいる。ホテル内にはまったく音がしなかったのに、全部でどれくらいの部屋があるのだろう。

 朝ご飯もおいしかった。ドイツの朝ご飯は好きだなぁ。ハム、チーズ、卵、パンのよくある組み合わせなのにひとつひとつの味が好み。ソーセージ、あとどこで食べてもチーズがすごくおいしい。日本で食べるのとクオリティが違っていつでも驚いた。あと久しぶりのカイザーロール。思い出すだけで食べたくなってしまった。

 ライン川下りは絶対にまた行こう。ローレライの麓には道路があったので、今度はドライブしたい。その方がいろいろ寄り道できるし、発見もありそうだ。

 

 今日の場所は大吟醸トラベルマップの55番と115番。

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114 & 54:ケルンとコブレンツの思い出

 バルセロナにいる間、次はどこへ行こうか考えた。

 東に行ってフランスの海岸沿いを楽しんで、イタリア、それからユーレイルパスが有効なギリシャまで行ってみようか。本当に先のことは何も考えていなかった。

 そこで私たちが出した決断は、ドイツに戻る、だった。

 バカだな(笑)いくら南端とはいえ、パリでフランスに対するイメージが最悪になっていたのが主な理由。反対にドイツに対する印象はすこぶる良く、今度は内陸のライン川沿いを見てみようということになった。

バルセロナ→ケルン

 地図を見直して、ここでもバカだなと思った。なぜ飛行機を使わなかったのか。ユーレイルパスを使うことにこだわっていたみたい。モンペリエ、リヨン、ディジョンを通ってここは何も覚えていない。そして結局、またパリへ。

今日はパリでまたムカつくこと満載

 とわざわざ書いている。若い時はどうしてこんなに頻繁にムカついたのだろう。今なんてたいして何もムカつかない。どうでもいいと思うことが増えたのか。どうやら、ここまでの旅の間に日本から持ってきたマフラーとシャカシャカ、つまりアノラックを紛失したらしく、それでイライラしていたのだと思う。

ケルン駅の売店でビジネスマン

 ケルンは大聖堂のある街くらいしか知らなくて、今回も電車を乗り換えるだけ。ただ乗り換え時間には余裕があって、駅の中を楽しんだ。

 ヨーロッパの駅は本当に素敵。ケルンの駅もまたスケールが大きかった。天井は明るくて、地面のレベルは暗めになる。教会に似てる。ケルンの駅は観光客であふれかえるというより仕事に行く人が多いようで、厳かな空間をスーツでせわしなく歩く人が多かったように思える。私たちもご飯を食べて、コーヒーを飲んでと楽しんだ。

 そして、本屋に入った。ケルンまでの道のりがかなり長く、そろそろ電車にも飽きていたからだ。本はほとんどドイツ語だったけど、英語の物も少しはある。何か買って読もうかなと手に取ると、すごく高かった。ペーパーバックで$30弱した気がする。

「高いな…」

とつい声が出た。その時、間髪入れずに私の横から声がした。

「インターネットノ アマゾンデカウト〜 ヤスクカエマスヨ」

 隣にはスーツ姿のメガネ男子。背が高くて、私は見上げる格好になった。

 この「インターネットノ」のフレーズはいまでも忘れられない。インターネットとアマゾンだけ日本語ネイティブでない発音で、後は十分に上手な日本語だった。いきなり超日本企業に放り込まれてもやっていけそうなくらい。

 ケルンのことは何も知らず、日本語を話す人がいるなどどまったく考えていなかったからビックリした。でも地図を見ると、近くには日本でも知られるフランクフルトや日本企業が多いと聞くデュッセルドルフがあるから、必要だったり興味をもつ人もいるのだろうと思った。

ライン川沿いを走るローカル列車

 そして電車に乗る。ローカル列車と書いたけど、ローカルなのか?というくらいきれいで快適な電車だった。車両だけなら新幹線みたいな感じ。ずっと川を眺めていたと記憶しているのだけど、地図を見ると川が見えてくるのはボン付近からであることがわかる。

 当時の私はボンと聞いてどんな街かがすぐにわかった気がする。でも今の私は「ボンは有名だけど、何で有名なんだっけ?」と思ってしまった。西ドイツの首都だ。ベルリンの壁崩壊は1989年だから、この時はまだ十年経ったくらい。それからさらに二十年経つとすっかり忘れてしまっていた。

 ボンには降りなかったけど、かつて首都だった街はどんなだったのだろう。今度は行ってみたい。

花がいっぱいのコブレンツ

 と日記に書いてある。「素敵」で「かわいい」ともある。でも降りた記憶はない。こういうのをとても残念に思う。いろいろな街に行ったけど、どうしても小さなことは忘れてしまうし、記憶違いもたくさんある。今度どこかに行ける時が来たら、しっかり残しておきたいなと思った。

 

 今日の場所は、大吟醸トラベルマップの114番と54番。

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53:バルセロナの思い出

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 バルセロナにはなんの思い入れもなかった。

 強いて言うならバルセロナオリンピック。金メダルを獲った中学生の岩崎恭子さんがたった十四年の人生の中で「一番うれしい」と言い、有森裕子さんと森下広一さんがなんとかの丘を爆走したあのクソ暑そうなオリンピック。

 ただ、いざ街を歩いてみるとオリンピックのオの字もない。あと平和。

「スペインのスリはイタリアのコソ泥と違って暴力的だから気をつけなさい」

と言われたから気をつけていたのに。

加山雄三さんなヨットハーバー

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 海の方に向かって歩くとおしゃれな港感が濃くなって、頭ひたすら加山雄三さんが浮かんでた。

ふたりを〜 夕やみが〜〜〜〜〜〜♪

口ずさみたくもなる。日記にはパイナップルの木がたくさん植わっていたとある。港にはたくさんのヨットが停泊していて、暑くてタンクトップが欲しかった。前日までいたマドリードとは気温が全然違うから、本当に驚いた。

ガウディの公園で社会科見学

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 私はバルセロナにもたいして興味がなく、超有名なガウディもぼんやりしか知らなかった。「あの派手なトカゲの人」くらいの知識。でも、バルセロナの街にあるこの人の作品を見るうちに、「この人はなぜこんな物を作ってしまったのだろう」と思うようになった。

 自分が死んだ遥か先の未来。自分のトカゲを地元の子供達が囲み先生がレクチャーするなんて、たぶんガウディさんは想像していなかった。彼はアーティストというより免許を持った建築家だったような。真面目に建築のお仕事をしている途中、息抜きがてらシャレで作ったのではないかな?と、勝手に想像したりする。

 だけどガウディのアパートを見る頃には、この奇抜な建造物が街に溶け込んでることをすごいと思い始めていた。ティムバートンの映画のセットみたい。そんな物がいわゆるヨーロッパの住宅と並んで建っていることが意味不明だった。この辺りはそんな陽気な土地だっただろうかと何度も思った。

サグラダファミリアでフィルム落下

 当然、ガウディのもうひとつの有名な建造物であるサグラダファミリアにも行った。私はこの超有名な未完成の教会にも興味がないどころか知らなくて、前日に「明日はサグラダファミリア行くよ」と言われた時に

「へ?桜田ファミリー?」

と言ってしまった。真顔中の真顔で。

 その時はホテルのラウンジかカフェかにいたものだから、たまたま近くに座ってた日本人のおじさまにクスッと笑われてしまったのを覚えてる。「桜田ファミリーっていいね〜」と言われてしまい、なかなか恥ずかしかった。サグラダファミリアスペイン語でholy familyを意味することを誰も教えてくれなかったもの、仕方がない。

 塔の上には階段で上がった。螺旋階段で幅が狭い。確か上りも下りも同じ階段だった気がする。観光客の間で「あら、すみませんね」とか「がんばって」みたいな朗らかなやりとりがあった気も。こういうのいいなと思った。

 そんな塔の中で忘れられないことがある。結構上まで登った頃、私の前を歩いていた外国人の子がカメラのフィルムを落としてしまったのだ。たぶん同世代。フィルムの入れ替え作業でもしれいたのか。もはや過去の遺物である、小さい筒型のフィルム。コロコロ階段を転がって、やがて螺旋階段の真ん中の真っ黒な空間に吸い込まれ、フィルムは一番下まで落ちていった。

 カン、カン、カラ〜〜〜〜ン

 一部始終を見ていたのは、私を含めて四人くらい。ダース・ベイダーに切り落とされたルークの腕が吸い込まれていった、あのシーンに激似だった。全員一言も発することができずにその光景を見届けた後、当の本人が「Oh- No」と嘆いたのを合図に、皆で笑った。

 最上階までたどり着いて、外に出るととても静かで心地の良い風が吹いていた。オレンジ色した屋根の家が並ぶ景色も素敵。それでも私のサグラダファミリアの思い出は、「桜田家」と「落ちていくフィルム」。あのフィルムは何百年か後に旧文明の遺産として発見されたりするのかな?と考えたりもした。

 何気に思い出がいっぱいなバルセロナ。また行っても、サグラダファミリアにはまた歩いて登ると思う。

 

 スペインの人は今のところ嫌な人はいない。みんな陽気だな

 わざわざ日記に書かれた私のスペイン人像。パリでの対人の経験から、会う人がどんな感じだったかを記録するようになっていたらしい(笑)

 今日の場所は、大吟醸トラベルマップの53番。

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110:プラドとレティーロとハムの博物館

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  一目惚れしてしまったスペインだけど、残念なこともあった。

 行ってみるまで、スペインはそこまで楽しみな国ではなかった。言葉がわからないのはともかく、マドリードで気になっていたことが特にない。でも、実際行ってみると何か肌に合う物を感じたし物価も安かったから、楽しくて仕方なくなった。また行きたい。実はその理由が残念なことで……

プラド美術館が休館日

(笑)
 こういう不運はたまにある。そして、余計に行きたくなる。私は別に世界の美術への造詣が深い人間ではない。それに、プラドに来る前に美術館は飽き飽きしている感じもあった。だって、ヨーロッパの美術館はイエスが多くて……。

  • エスの磔
  • 首から血を流すイエス
  • 十字架を背負わされたイエス
  • 弟子の膝の上で最後の時を迎えるイエス
  • 復活のイエス

 どこの美術館に行っても、こんな感じにイエス三昧。正直言うと、「もうお腹いっぱい」と思ってた(笑)

ティーロ公園を歩く

 プラドが閉まっていていいこともあった。朝一で行って閉まってるのを確認した後は、そのままレティーロ公園に行った。写真はそこの池。Google Mapを見たらEstanque Grande de Retiroとある。スペイン語ができないのでエスタンクがわからなかった。池か。BigかGreat pondみたいな意味でいいだろうか。

 同じ公園の中にあったガラスの家も素敵だった。温室なのかサロンなのかわからないけど、イベントで使ったらかっこよさそう。知識ゼロで行ってしまったのが残念。この公園は小道の作り方もきっちりしていたし、もっと見ておくべきだった。

マヨール広場

 ここのことも知らずに突然行き着いた。きれいー。見た中でもっとも完璧に美しいと思った。四角い広場に、周りをぐるっと囲むひさしが付いたお店。すごく異国情緒を覚えた。当然なのだけど、スペインは思い描いていたヨーロッパよりもずっとスパイスが効いている。ただの石造り、石畳ではなく、色がつけられていたり真っ白だったり、なんというか細部へのこだわりがいい。

 よくあるヨーロッパの広場と同じく、昔は市場が立っていたんだろうな。あとは処刑とか。それでも雰囲気は明るく、古い感じがして素敵だった。あー、やっぱり行きたい。ワクチンを打てば、意外と早く行ける時がくるのだろうか。

肉の博物館

 もうひとつ、知識なしで行ったところにMuseo del Jamonがある。生ハムの塊がたくさん上から吊るされているのが店の外から見えたのがきっかけ。昼間から人がたくさんいて、カウンターで飲んで食べてしてる。おいしそうだし、おもしろそう。そう思っただけだった。

 おいしかった。周りの人が頼んでいる物を適当に頼んだら、どれも量がたっぷり。クロワッサンに生ハムをどっさり挟んだサンドがおいしかった。Paulで売ってる似たパンを今でも買ってしまうのは、きっとこの店のせい。お腹いっぱい食べても飲んでも、二人で二千ペソくらいだったはず。

 絵日記には「肉の博物館」と書いてあるけど、Jamonはハムのこと。隣の人が食べていた鶏の丸焼きに惹かれて私たちも注文したから「肉」の印象になってしまったのかも。このお店もまた行きたい。今度はワインを飲む。

マドリードの地下鉄はデュエット

 海外には珍しく、録音の音声が停車駅を案内してくれた。海外の電車の放送はやる気のなさが表れていて、とりあえず聞き取れない。そもそも聞いてもらおうと思っていないだろうしね。だけど、スマドリードの地下鉄はスペイン語がわからない私でも「プロキシマ」みたいな単語がNextの意味であることを想像できるくらいにクリアな音声だった。助かる。

 もっとおもしろかったのは放送がデュエットだったこと。日本の駅に置き換えてみるとこんな感じ。

男「次は〜渋谷」
女「次は〜渋谷。東京メトロ銀座線、半蔵門線副都心線東急線……をご利用のお客様はお乗り換えください」
男「お乗り換えください」

すごく珍しいと思う。

 マドリードは行ってから好きになった街。次に行くなら、テニスのマドリードオープンの時期にする。予定に観戦も入れて、もう一度まんべんなく市内を観光したい。

 

 今日の場所は、大吟醸トラベルの110番

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52:マドリードの思い出

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マイペースなお国柄

 メモに残されているのは「快適電車でスペイン入り」とのこと。ポルトガル入りが厳しかったから余計そう思ったのかも。とはいえ、この移動も楽だったとは言いにくい。だって、指定の時間に駅に行くと乗るはずの電車が運休になったと言われてしまったから(笑)

 日本の交通システムが勤勉なだけ。この辺の国の人は自分が無理をするより止めることを選ぶ。今はどうか知らないけど、この時はまだシエスタという昼寝のシステムが常識で主にアメリカから批判されていたと思う。私もこの旅の中だけでもイタタな目にあってイライラしていた。昼寝がいかに効率的かを知るにはそれから二十年、つまりコロナで在宅勤務になるまでかかるのだけど。

 リスボンの駅から電車は出ないけど、違う駅までバスで行って、そこからマドリード行きには乗れることになった。渋谷から恵比寿駅とかではなくて、渋谷から御殿場のアウトレットくらいまでは行ける距離だったと思う。途中の面倒くさいことは例のポルトガルで会った大阪人のお兄さんが助けてくれた。サッカー好きはスペイン語が少しできるらしい。無事に電車に乗ることができて、マドリードにも到着できた。

アトーチャ駅

 この駅は私が知る世界の駅で五本の指に入る美しい駅だ。旅は前情報なく行くのも悪くない。だって、駅の大きな広場に熱帯の森があるなんて想像していなかったから。この駅の絵はいつかゆっくり描きたい。

 天井から光もたっぷり入っていて、濃い緑がうれしそう。どうしたらこんな建物を想像できるのか。うわーとなった。ならない人なんているのだろうか。これから何回も行きたい駅。

 よく考えたら、海辺の街から内陸の街に一気に移動していた。何を考えていたのかまたしても意味不明だ。若いってすごい。

マドリード市庁舎

 写真はマドリード市庁舎で撮ったもの。シベレス宮殿というお城らしい。外観も外の広場も中もとてもきれいだったから印象に残ってる。たまにスペインのニュースでテレビに出ていると、いちいち反応してしまうくらい。

 マドリードの建物は真っ白で、そこに光が反射してまぶしかった。街中のラウンドアバウトやランドマークの前には大きな噴水があって、それらも白が基調。空も青が濃くて、白い噴水と水しぶきの感じを好きになった。

犯罪が多い街

 だけど、マドリードは危ないと聞いていた街。この付近に来るとサッカーを観に来た日本人男性がたくさんいて、自分が追い剥ぎにあって大使館に駆け込んだ武勇伝を聞かせてくれた。

「わー、大変だったね」
と言いながらも、複数の男性から話を聞くうちに、女性よりも男性の方が隙がありそうと思い始めていた。旅の途中で会う女性たちは防犯面の対策をしっかりしていて、危険な目に遭っていなかったからかな。私も全然怖い目に遭うことはなかった。

「こんな風に人がたくさんいて明るい場所も危ないって言ってたね」
「路地に連れ込まれて貴重品盗られたんだよね」
「怖い〜〜〜〜」
「感覚を研ぎ澄ましてないとだね」
「そうそう。ははは」

 ちょっとスパイ映画を思い浮かべてたと思う。

「きっと今も誰かに尾けられてるよ」
「うん。たぶんそう。そしたらまかないとね」
「ドキドキするな〜」
「振り返って変な人がいたらダッシュしよう」
「いいよ。せ〜の!」

 シーン。

 誰もいなかった。

 本当の本当に人っ子ひとりいなかった。

「私たち人気ないね。ははは」
と大笑い。

 という訳で、結局マドリードで怖いことなんて一度もなかった。

オムレツ!ドカンなサンドイッチ

 マドリードの絵日記には、ジャケ買いしたサンドイッチのことが描かれている。日本で厚焼き卵かオムレツかと呼ばれる卵焼きにじゃがいもが入った物を、ブロック状でバゲットに挟んだだけ。他のサンドイッチには生ハムやトマトやレタスがたっぷり入って見た目も麗しかったのに、これだけは本当の本当に卵焼きだけで、レタス一枚も入っていなかった。

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 でも、おいしかった!

 笑えるくらいおいしくて、マドリードではこればかり食べた。ちなみに私はそんなに卵が好きじゃない。あとはファンタレモン。日本では見なくなっていた懐かしい味を見つけて、見つけると必ず飲んでいた。

 そうそう、マドリードという読み方を知ったのは現地に行ってからだった。それまで見てきた地図や教科書やガイドブックには、マドリッドと書いてあったと思う。

 

 今日の場所は、大吟醸トラベルマップの52番。

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50:リスボンその他の思い出

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 「せっかくヨーロッパに来たのだから端まで行こう」。ポルトガルにはそのくらいの思い入れで来たのに、結局いい思い出しかない。

  初めに、天気が良かった。ヨーロッパの北の方は寒いし雨が多い。空も常にどんよりしていて、寂しい気分になる。一方のポルトガルは暖かく空は青い。最高だった。

  そして、ホテルが広い。普通のホテルでも十分にきれいでとても広かった。後は水とお湯。パリから来たから余計なのだろうけど、ポルトガルの倍くらいの価格だったくせに、パリのホテルは古くて汚いし、何より水回りがきちんとしていないのが嫌だった。換気含む。住環境悪そう。

 それと比べて、ポルトガルのお風呂はシャワーから熱々のお湯がたくさん出た。部屋にも廊下にも太陽の光がたっぷり入っていたし、避暑にぴったりな中庭もあった。中庭好き。

 人も穏やか。やっぱりパリのせいだ。ギスギス自己中心的で人に体当たりしても平気な人たちをたくさん見たからだ。この街の人々はゆっくり時間を過ごしていて、人当たりも柔らかかった。「快適?」と聞いてきたホテルのお兄さんに広さやお湯のことを伝えた時の「なんでそんな当たり前のことをわざわざ言うの?」とでも言いたそうな、朗らかな顔を今でも思い出すことができる。

 そして、お菓子。日本で流行っていたエッグタルトも食べたし、カラメル味のもっと素朴なお菓子も食べた。ワインはそんなに飲まなかった気がするから、今度は堪能してみたい。

 でも搾りたてのオレンジジュースは飲めなかった。レストランやカフェといったちょっとしたお店には必ず大きなジューサーが鎮座していて、山盛りのオレンジが置かれていたのに。悲しい。そして謎。スペイン語ポルトガル語もわからないから、詳しく聞けなかった(笑)

 後はリスボンで会った少し年上のの日本人男性を覚えている。サッカーが好きで観に来た人。サッカーを目的にする日本の男の人は本当に多かった。本場で観戦したい気持ちはわかるな。ヨーロッパだとスタジアムも立派そうだし。私もいつかウィンブルドンローランギャロスに行ってみたいと思うもの。
 この人は大阪の人で、話している間になぜかロカ岬に一緒に行くことになり、さらには次の行先がスペインなのも同じでそこまで一緒に旅することになった。彼は一人旅だったから、久々の日本人に寂しさを覚えたのかもしれない。これも気持ちはわかる。

 そして、次の目的地では彼に大変お世話になってしまった。今みたいにSNSもないし、旅を終えて日本で会ったりはしなかったけど、こういう出会いもいいなと思っていた。

 今日の場所は、大吟醸トラベルマップの50番。

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51:ロカ岬の思い出

daiginjo travel portugal Cabo da Roca

リスボンからロカ岬へ

 ロカ岬というのはCabo da Rocaと言って、ユーラシア大陸の最西端にある岬だ。リスボンから電車でシントラかカスカイスという西側の街まで行き、その後はバスに乗る。たぶんカスカイスだったと思う。メモにも残っていない。また行ける時が来たら、車で行こうと思う。公共の交通機関にはこの時にたくさんお世話になったし、今度は気になる場所で止まったりして。Google Mapがあるから、どこでも困らない。

 だけど、電車に乗ろうとリスボンの駅に行くなり、様子が不思議なことに気づいた。巡回していた軍の方が言う。

「今日、この駅は閉鎖だよ」

 意味が全然わからない。日本でそこそこ大きな駅が閉鎖になるとしたら、ニュースになるレベルの事件が起きた時しか思いつかない。でも、その時の駅にそんな雰囲気はなくて、人々は当たり前のように通り過ぎて、どこかに向かう。普通にあることなのか、大規模なリノベーションを市全体で行っていた時だったのかはわからない。軍人さんが親切に目的地に着ける駅を教えてくれたので、それに従った。

 車で行きたいと行ったけど、この時の電車とバスの旅は風光明媚だった気がする。普通のボックス席の電車、路線バスと観光バスの間くらいのバス。ロカ岬に近くに連れて観光客は増えるのだけど、両側の景色は『アルプスの少女ハイジ』みたいになってくる。真冬なのに緑で小さな花がポツポツと。同じ季節なのに、ポルトガル北ヨーロッパと比べて暖かかった。真冬に行く沖縄みたい。それもまた行きたいと思った理由のひとつだ。

ここに地終わり 海始まる

 これは宮本輝さんが1994年に出した本のタイトル。私がロカ岬を知っていたのもこの本の影響による。友人が宮本輝さんファンだったこともあって、半ば強制的にたくさん読まされた。映画やドラマになっている話もあったし。そのせいか、私の中ではポルトガルと言えば、ロナウドよりも宮本輝だった。

 ロカ岬には大西洋に向かう形で断崖絶壁になっていて、そこに“ここに地終わり 海始まる”の詩が刻まれた石碑があるはずだった。上が十字架で、台が石造り。本の表紙に描かれていた。

 と、思っていたのだけど、画像検索したら表紙はてっぺんが赤い灯台だった。どうして勘違いをしていたんだろう。

 ダメ男を絵に描いたような主人公が人生に疲れてここに来て、絵葉書を出す話だった気がする。梶井という名で確かイケメン。絵葉書に十字架の塔が書かれていたのだろうか。読み直さないとわからない。

 しかも、この絵葉書は人違いで送られた物だった。本当の宛先は、訪問した療養所で見かけた美人。実際に受け取ったのは人生のほぼすべてを療養所で過ごす地味な女。今なら、ダメ男は生まれながらのダメ男だとわかるけど、思春期だったからそれなりには感情移入できたかも。宮本輝さんの話に出てくる人々は現実離れしているから、ほんの少しだけだけど。

ユーラシア大陸の西端

 「うわー、大陸の端に立ったぞ!」とは思わなかった。

 崖、その前に広がる海、打ち付ける波、地平線、天使のはしご。日本の西側を旅した時にもよく見られた光景だった。ヨーロッパ人らしき人々はもっと感動しているみたいだった。

 それよりも朗らかな岬の風景を好きになった。ここにも緑の草と花がたくさん生えていて、歩道は土のまま所々に不自然に大きな岩が放置されていた。そこに片足をかけて加山雄三さんのポーズをしたくなる。海辺だからそれなりに風もあって良い効果になる。そんな場所。

私の時はすっかり晴れていたけど、梶井の時は風が強かったのではないかな

とメモされている。当時は彼の境遇からそんな気がしていた。だけど、酸いも甘いもそれなりに知った今となっては、こんな場所まで来て強風や豪雨に晒されるより、きれいに晴れていた方がメンタルがやられてドラマチックだと思ってしまう。

 それでも、この小説の影響でこの地を訪れる日本人は多いのだろう。ポルトガルではほとんど日本人を見なかったけど、ここに行っている人の写真はたくさん出てきた。そして不思議。日本語の『ロカ岬』で検索すると石碑が、オリジナルの『Cabo da Roca』では赤い観光案内所が出てくる。宮本輝さんの本を読んだ日本人は、石碑の方が強く印象に残っているのだ。

 

今日の場所は、大吟醸トラベルマップの51番。

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